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2015年12月26日 (土)

世界の歴史を少し正確に理解する ローマ教皇

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「パパ」教皇はカトリック教のトップです。そもそも階層がある事自体、純粋なキリスト教としてはおかしいのですが。初代は「ペトロ」となっています。ペトロはバチカンでローマ市民により迫害されて無くなった、キリスト教をヨーロッパに広めた使徒でしたね。彼の遺骸はバチカンの地下に埋まっていると言われます。「自分の声はペトロの声である」つまりペトロの生まれ変わりというか正統子孫が教皇です。理由はマタイの福音書に記載があるようですので、興味があれば読んでみてください。教皇は更に勢力を拡大するため、ペトロの子孫をやめて「キリストと対等の存在」を名乗りはじめます。キリストが禁じた偶像崇拝もキリストと同等の教皇がOKすれば問題ないのです。そして三位一体、キリストは神と同格になりましたのでキリストと同等である教皇は神のレベルに到達しました。今の日本でこんな新興宗教が出てくれば国を挙げて抑制されそうです。カトリック教が台頭したのは5世紀の頃でした。

 

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しかしそれでも教皇は国王ほどの権力を持ちませんでしたが、徐々に国王の力までも圧倒するようになります。有名なのは11世紀に起きたカノッサの屈辱です。神聖ローマ帝国の国王ハインリッヒが教皇に破門され、その許しを請うためにカノッサ城門で雪の中、裸足のままで4日間も断食をして祈り続けたという事件です。教皇と国王の上下関係逆転です。

 

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ハインリッヒが破門された理由は、国王が各教会の司教を任命したからで、それに怒った教皇がハインリッヒ王の破門と皇帝権の剥奪を宣言したのです。ここで皇帝権という言葉が出てきますが、跡継ぎは王家が決めるものであり教会が決めるものではありません。しかし教皇が皇帝に戴冠するという事はよくありました。それでも決して教会が皇帝よりも上という状況にはなかったのです。事実、ハインリッヒは教皇に許された後で反撃に出て教皇を追放してしまいます。カノッサの屈辱とは20世紀になって反教会を打ち上げたビスマルクが「屈辱だ」と言い始めたから「カノッサの屈辱」という名称になったようです。そしてカノッサの事件から一つのキリスト教派閥(カトリック)のトップ=教皇が諸国の国王を上回る権力となったのです。

 

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当然のことながら他のキリスト教派閥は今でも教皇をキリスト社会のトップとは認めていませんが、カトリック系の信者が今でも多い事には驚かされます。カトリックの異常性については今後の一つのテーマになります。この教皇と国王の関係は天皇家と時の支配者、例えば江戸幕府などに似ているような気がします。正確には明治以降戦前までの天皇家と政府の関係に近いでしょうか。またキリスト教の国全体に影響を及ぼすという意味で中国の冊封と海外諸国の関係とも似ているような気がします。いかがでしょうか。

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