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2015年12月25日 (金)

世界の歴史を少し正確に理解する カロリング朝フランク王国

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重要な事としてピピン3世はメロヴィング朝を継承した王ではありません。王宮の人事官、宮宰だったのですが分割が進んでしまっていた複数のフランク王国では実権が宮宰に移っていました。まずは彼の父親、マルテルの話です。スペインを征服していたウマイヤ朝イスラム帝国はフランク王国への進出を決めます。イスラム帝国の力は圧倒的だったようですが、どうにか耐えきった(盾で防いだ)1日目の戦闘の翌朝、イスラム軍内で内紛があったのか撤退していました。しかもイスラム軍の隊長が死亡していたのです。つまりフランク王国は勝っていないのですが勝利の形になり、マルテルは勝利の隊長として英雄視されます。

 

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例えれば黒船来襲に近い状態で、イスラム帝国の圧倒的な騎兵隊に脅威を感じたマルテルは軍隊を強化、息子のピピン3世(小ピピン)が分割相続を止めて世襲化すると同時にカロリング朝フランク国を立ち上げて諸国の平和的再統合を進めます。明治維新では多くの戦闘がありましたがその中でも戦闘なしで結ばれた薩長同盟が日本統一を加速しました。王家でもない宮宰のピピン3世が外交によりフランク王国を再統合したのは素晴らしい実績ですね。強大になったカロリング朝フランク王国はその後、イスラム帝国をスペインから外に出しませんでした。この時期、スペインでキリスト教の文化遺産が破壊されてしまいます。パリやローマが占領されていればヨーロッパの世界遺産は半減していた事でしょう。ピピン3世の息子、カール(フランス風にはシャルル、英語風にはチャールズ、ポルトガル風にはカルロス)大帝は「ヨーロッパの父」とまで呼ばれます。その理由の一つがカトリック教を国内で強要し、収入の10%を教会に収める事を決めたのです。つまりヨーロッパに一つの強大なキリスト教国ができました。フランス、イタリア、ドイツの全域を支配したカールですが、ローマの近辺にローマ教皇領というエリアを作りました。中心はもちろんバチカンです。

 

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国が大きくなりすぎると必ずと言っていいほど分裂します。交通網の無い時代ですから広いヨーロッパ全体を統治するのは不可能に近いですね。東ローマと西ローマが割れたようにフランク帝国も分裂します。なぜ分割したのか、またもやフランク人伝統の「分割相続」で内紛があったのです。結果として今のフランスへと姿を変える西フランク王国、神聖ローマ帝国となった後にドイツになる東フランク王国、正統王(?)ロタールが率いるイタリアとその北部を支配した中フランク王国、南部は将来イタリアになります。

 

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フランク王国が滅んだのは10世紀ですが、滅んだというより王権の交代です。ヨーロッパの原型はフランク王国が作り、その支配範囲にカトリック教を強要したのがカール大帝であると整理します。

 

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