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2015年11月23日 (月)

世界の歴史を少し正確に理解する 三顧の礼

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うだつが上がらぬままの劉備玄徳、40歳を超えています。頼りにしていた袁紹も曹操に敗れてしまいました。幸い関羽が曹操の下から戻ってきましたが、曹操の北部制圧が終われば南に下ってくること位わかっています。自分の命も風前の灯、そんな時に諸葛亮という優れた軍師の存在を知るのです。ここからの説明はいらないですね、一応書いておきますが。

 

 

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劉備は諸葛亮孔明に仲間になってくれるようお願いに行きますが、最初の2回は合う事ができませんでした。居留守を使われていたと言われています。そして三回目に諸葛亮は会ってくれました、「三顧の礼」です。西暦206年の事でした。困ったことに企業の偉い人がこの技を使う時があり困ります。E-mail3回目に回答して「三顧の礼」というのですけどね…いちいちReminderを送るのは面倒です。自分を諸葛亮のような天才と比較するなんて、それだけで器が小さい。

 

 

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劉備は曹操が攻めてきた時どうしたらよいかと諸葛亮に尋ねます。すると諸葛亮は、劉備は曹操に勝てない、孫権も曹操には勝てないといいます。失礼のようですが真実、そこで劉備と孫権が手を組み、その後中国を3分割してバランスを取るという「天下三分の計」を提案します。ご存知の通り、孫権と手を組んで曹操と戦うのが「赤壁の戦い」であり、その後三国時代を迎えるのです。いよいよ三国志のクライマックスですね。

 

 

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劉備の諸葛亮に対する厚遇は関羽と張飛が嫉妬するほどだったそうです。諸葛亮は当時20代、若造に50歳近い劉備が3回も頭を下げて仲間に加えたのです。儒教の影響が強い中国ですから、年配の大将が頭を下げる事は異例ですし、それ程に諸葛亮の能力は素晴らしかったのでしょうね。諸葛亮がいなければ劉備が蜀の国王になることなど無かったでしょう。

 

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