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2015年10月

2015年10月31日 (土)

世界の歴史を少し正確に理解する キリスト教に触れる前に

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旧約聖書は戦争の歴史であり、崇拝されるのはヤハウェのみであり、人々ができるのは祈る事のみです。しかしあまりに厳しい戒律のため、旧約聖書に何度も書かれているように人々は旧約聖書から離れていきます。宗教を知らない私が書くことではないのですが、イエスは旧約聖書を信じることができなかったのです。苦しんでいる人に手を差し伸べる「救い」が無いからでしょう。旧約聖書は戦争の歴史、ヤハウェは生贄や聖戦さえも求めます。新約聖書は歴史ではありません。戦争はなく、多くの人が死ぬこともなく、多くの奇跡は人を救うばかりであり、その中心には救世主であるイエスがいます。

 

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キリスト教の歴史は新約聖書にはなく、「なぜヨーロッパに拡散したのか」「どうやって拡散したのか」「人を救う物語の新約聖書が戦争の原因になったのはなぜか」という、イエス以後の歴史が重要です。ユダヤ教の中に救世主の話は出てきます。キリスト教を信じる人はイエスこそが救世主と言い、ユダヤ教の人たちは21世紀の現代まで救世主は生まれていない、イエスは偽の救世主という立場です。

 

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新約聖書の奇跡を描くことは歴史の勉強とは考えられませんので省略しますが、省略しようにも奇跡に塗り固められているためある程度は含まれてしまいます。奇跡を否定することはキリスト教信者の方々にとって失礼ですから少しは含みます。ただ水の上を歩く、死者をよみがえらせるというような奇跡は省きます。

 

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大丈夫、旧約聖書ほど長くはなりません。

 

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2015年10月30日 (金)

世界の歴史を少し正確に理解する パルティア

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中国の史記に「安息」として登場するパルティア、アルサケス朝パルティアと呼ばれ、イラン系、つまりメソポタミア系の国家です。西には大国ローマがあり、東には大国、漢があります。既にシルクロード貿易が始まっている中で現在のイラン、イラク、パキスタンあたりまでを支配下におさめていたので、東西を移動するには必ずパルティアを通らなければいけませんでした。このパルティアを避けて通るルートがサウジアラビアのメッカです。砂漠のど真ん中に都市ができたのですから、ローマとパルティア、もしくはその後のペルシアの仲の悪さがわかります。

 

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パルティアは紀元前250年ごろ、弱体化していたセレウコス朝シリアの中から生まれました。倒したわけではなく、一部が独立した形です。セレウコス朝が紀元前63年ローマに敗れると、次はローマとパルティアが国境を接する事になりましたので戦いになります。どちらの国も国土を拡大しようとしていますので引きません。ローマは暴君ネロ、パルティア戦争はローマの歴史の中で少し触れる事にしますが、パルティアは負けない、和議を結ぶのです。ローマの東への移動はここで止まります。パルティアが強力な国であったことがはっきりしますね。

 

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そのパルティアも徐々に弱体化しました。そしてペルシアに負けるのです。有名なササン朝ペルシアです。しかし建国以来なんと500年も頑張ったのですからすごい、今から500年前の日本は室町幕府の時代、応仁の乱の終戦後ですが、それだけの期間、一つの国家が維持できたのです。どうも日本での世界史はこのパルティアを軽視しがちなのですが、世界史の中でとても重要な位置を占める国と感じています。

 

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さてイエスについて見ていきましょう。

 

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2015年10月29日 (木)

世界の歴史を少し正確に理解する 西暦の始まり

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西暦という暦が西暦元年から使われている訳がありません。イエスが生まれたときに彼が生まれたことを知っていたのは東方の3人の学者程度です。ユリウス暦は使われ始めていましたが西暦を使い始めたのは6世紀くらいだそうです。ただ西暦元年は区切りがいいのでこの時代の世界情勢を見てみましょう。ちなみにキリストは紀元前4年頃に生まれています。6世紀頃のカレンダーは精度が今一つで、計算間違いだそうです。更にキリストの誕生日は1225日ではないですよ、これも後で決められた日付であり11月から1月頃の間という事しかわかっていないようです。

 

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中国は漢の時代、シルクロードによる中東との貿易が始まっていました。中東にはアルサケス朝パルティアという大国がありヨーロッパとアジアの貿易を牛耳っていました。ヨーロッパではローマ帝国が拡大、ギリシャ文化は崩壊に進んでいます。ローマ帝国は既にシリアのあたりまで進出し、マケドニアからわかれた国々を滅ぼしてパルティアと対峙しています。エルサレムはローマ帝国に支配されており、神殿にはゼウス像がおかれた頃です。イエスが誕生しますがこの時期、彼の家族はエジプトにいます。日本の歴史はまだ闇の中、神話時代です。

 

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さてここからは、イエス・キリストの生誕とキリスト教の伝播が中心になります。また漢の拡大で心太式に押し出されたゲルマン民族(ジャーマン民族)の大移動が始まります。中国はいよいよ三国志の時代へ「魏志倭人伝」も登場します。ただし日本に文字が登場するまであと600年も待たなければいけません。この頃にはサハラ砂漠が拡大し住みにくくなったアフリカ、南アフリカが陸の孤島となってしばらくヨーロッパの歴史から消えてゆきます。韓国、インド、メソポタミアの歴史を織り込みながら中国とローマ帝国の歴史を中心に勉強していきます。

 

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しかしその前に一つ忘れていました。パルティアです。

 

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2015年10月28日 (水)

世界の歴史を少し正確に理解する 共和制から帝政へ

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カエサルの死後に再び三頭政治が始まります。今度はオクタビアヌス、アントニウス、レピドゥスの3人です。レピドゥスは早々に失脚するので、残り二人の争いとなります。ずいぶん前にアントニウスについては一度触れています。そう、カエサルとの関係があったクレオパトラと結託するのです。クレオパトラはエジプトの存続のために策を練ったのであり、最初から恋に溺れたわけではないと考えています。しかしその後、アントニウスは恋に溺れたのでしょう。

 

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アントニウスとクレオパトラについては以前書いたので、先に進めばオクタビアヌスが勝って独裁となります。帝政ローマの誕生です。ただしオクタビアヌスの政治手腕は素晴らしく、元老院と共同で政治を進めます。オクタビアヌスの意見に元老院が反対すれば、元老院の意見を採用したのです。今のアメリカの大統領と同じような存在に感じますね。

 

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さて日本で著名なのはこの紀元前27年の初代皇帝オクタビアヌスまでです。しかしローマの歴史はここからです。キリスト教成立期に出てきた皇帝ネロ、その後西暦98年から180年までが全盛期、その後カラカラ帝の時期からローマの弱体化が始まります。ローマの全盛期を語る前にキリスト教、新約聖書について考えておかなければいけません。

 

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なぜキリスト教が生まれ帝政ローマの領土で広がったのか、それにはローマ支配の仕組みが影響している事は説明してきました。極端に高い税金で、住民は生きていく事さえできず、救世主が生まれ、庶民にキリスト教が広がり、ローマ帝国もついにキリスト教を国教にしなくては抑えが利かなくなる、そのような流れが理解できればよいと感じています。ただキリストの伝記ではなく歴史の解釈ですからあまり深入りはしません。

 

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2015年10月27日 (火)

世界の歴史を少し正確に理解する 内乱の1世紀

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地中海中の国々から税金という形で搾取を続けるため安価な商品が世界中からローマに集まってきました。その為ローマの人々が作った農作物や商品が売れなくなってしまいます。バブル後の不況時代の日本のようで、「Made in 何々」が街中にあふれました。市民には鬱屈がたまり、「パンと見世物」(食べ物と娯楽)を求めるようになります。この見世物がコロッセオで開かれるグラディエーターによる殺し合いです。映画などであまりに有名ですね、このグラディエーターが「殺されるくらいならば」と反乱を起こします。紀元前73年、スパルタカスの反乱です。この反乱を鎮圧したのがポンペイウスとクラッスス、この二人にカエサルを加えた3人が頭角を現し、元老院を圧迫します。三頭政治です。

 

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彼は歴史への貢献が大きく、彼の日記と言えるガリア戦記は有名です。ガリアはガリア人がいた地域で、ざっくり言えば北イタリアからフランス、オランダあたりを指します。ユリウスは皇帝にはなっていません。元老院の反対にあってローマから追い出されたときは、軍隊を従えてルビコン川を渡ります。有名な「賽は投げられた」で、ルビコン川を渡る事に恐れをなした軍隊に、もうルビコン川を渡ろうが渡るまいがクーデター軍になった、今更恐れをなしても遅いという意味です。彼は皇帝を目指していた時に義理の息子、腹心に裏切られます。「ブルータス、おまえもか!」はシェークスピアの演出です。

 

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しかしカエサルを暗殺しても元老院支配から皇帝支配への流れを変える事はできませんでした。

 

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2015年10月26日 (月)

世界の歴史を少し正確に理解する 共和制ローマ

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正確な国名は「元老院ならびにローマ市民」だそうです。紀元前500年ころに王政が終了したとみられ、それ以降は元老院という組織を中心とした共和制が敷かれました。共和制とは言いながら元老院の支配が強かったようです。元老院は当初王政の時代から続く貴族(パトリキ)で構成されていましたが、徐々に平民(プレブス)からも選ばれるようになったそうです。選挙や政治に全員参加なのかと言われますと奴隷がいましたので全員ではありませんけど、それでも王や皇帝がいない民主制の成立は画期的です。ただしローマだけではなく同じ時代に合ったポリスも民主制でした。ローマには元老院という組織があったことが特徴です。

 

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共和制ローマは徐々に支配範囲を広げ、紀元前3世紀にはイタリア半島を統一します。すると北はアルプスがあり越えられないので海に出ます。この時代には既にギリシャのポリスがマケドニアに滅ぼされ、東にはアレクサンダー大王が大帝国を築いたものの既にそのマケドニアさえ崩壊し、3つの国に分かれていました。当時のローマには海に出れば目の前に巨大な敵がいました。フェニキア人の国「カルタゴ」です。さてここで不思議に思うのは、フェニキア(ポエニ)は古代史ではシリアのあたりにいたはずですね。本国の古代文明は無くなっていたのですが、アフリカのチュニジアあたりを占領し大帝国を作っていたのです。このポエニ人とローマの戦争がポエニ戦争です。

 

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ローマはカルタゴからまずシチリア島を奪います。地中海性気候をご存知の方でしたらわかると思うのですが、ローマは夏に雨がほとんど降らず小麦などの穀物生育には向きません。つまり人口の割に穀物(パン)が少ないのです。そこで小麦が取れるシチリアを奪ったのです。しかしカルタゴに英雄が現れます。有名なハンニバルです。彼がすごいのはジブラルタルの近くから象に乗ってスペインに入り、アルプス山脈を越えてイタリアに攻め込むのです。源義経よりもはるかに大規模な山下り、しかも象、その勢いでカルタゴはイタリアの北部を支配します。そこでローマはハンニバルのいないカルタゴ本国を責め勝利をつかむのです。ここからがローマの怖いところですが、カルタゴのフェニキア人を皆殺しにし、人種が滅んでしまいます。都市も完全に消滅させています。

 

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その後共和制ローマはマケドニア、シリア、エジプトを滅ぼすのですが、彼らはパックス・ロマーナ(ローマの平和)といいながら行軍していきます。現在のアメリカが「パックス・アメリカーナ」を推し進めていますが、その語源はここにあります。ただローマはとにかく支配の仕方がひどくとても平和とは言えず、住民が生きていけないほどの税を搾取するため、占領された国々の人口は激減します。10年ほどで人口が10分の1になるほどだったそうです。このような支配はエルサレムに対しても行われます。今後、キリスト教を見ていくのですがこのローマによる残酷な支配があり国民が苦しんでいたことを覚えておいてください。ユダヤ教ではヤハウェに救済を祈ることはできません。ヤハウェではない「救世主の出現」が望まれていたのです。そして救世主としてイエスが現れ、救済はユダヤ教かキリスト教かを問うのです。ローマ支配が無ければ救世主は現れなかったのかもしれません。

 

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2015年10月25日 (日)

世界の歴史を少し正確に理解する 都市国家 ポリス

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紀元前8世紀ころエーゲ海の周りにポリスと呼ばれる都市国家ができます。ローマに都市国家ができたと言われる時代とほぼ同時です。有名なギリシャのポリスにアテネ、スパルタ、テーベなどがあります。これらの国々は独立した城塞都市ですが、同じギリシャ語を話し、同じ宗教であるオリンポス12神を祀ります。敵対しながら協力するという微妙なバランスでした。ポリス毎に祀る神々が違い、アテネはアテナイですが最高神はゼウスでした。ローマの神々も基本的にオリンポス12神なのですがラテン語の発音であるためカタカナ表記にすれば異なります。

 

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ローマが共和制になった紀元前500年前後、ギリシャにあったポリスはペルシアとの長い戦いを続けていました。アケメネス朝ペルシアはイラクの地で発祥し、トルコ、エジプト、インド近くまでの領域を持つ大国で、ついにギリシャのポリスと戦争になったのです。ペルシア軍がトルコから船でギリシャに攻め入り有名な戦争がマラトンの戦いです。勝ったギリシャの伝令がアテネまで走り命が尽きる「マラソン」の語源となった戦いです。ポリスは協力し連合国いえ、運命共同体として戦います。

 

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ギリシャはペルシアに勝利しました。しかしその後、ポリスが仲たがいを始めます。最初に全体を支配したのがアテネ、しかしスパルタが対抗します。スパルタ教育が死語かもしれませんが、厳しい教育で強力な軍隊を持っていましたがテーベに敗れます。ポリス同士の戦争の最中、紀元前330年頃にギリシャ北部にマケドニアが出現、ポリスは滅びてしまうのです。マケドニアもギリシャにありますが、ポリスのような都市国家ではないので区別します。そのマケドニアもアレクサンダーの死亡ですぐに消滅し、古代ギリシャは民族ごと消えてしまうのです。

 

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さて滅びてしまったギリシャはどこに行ったのか。基本的に当時の戦争は皆殺しでした。滅びた人種も少なくありません。古代ギリシャ人もどこに行ったのかわからないのですが、少なくともヘレニズム文化がガンダーラ近辺に残りました。つまり古代ギリシャ人の血は以外にもアジアもしくはロシアに残っているのかもしれません。さて話題をローマに戻します。

 

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2015年10月24日 (土)

世界の歴史を少し正確に理解する 古代ローマ

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共和制から帝政に代わった頃の物語が日本の漫画などでは人気ですが、それはローマ帝国で紀元前27年ころからの話です。ローマと言えば今はバチカン市国がありキリスト教の中心地という印象ですが、それ以前の古代の話から始めましょう。神話の話ではありますが、トロイア戦争に負け逃げてきて母親に捨てられた双子が狼に助けられます。双子の兄弟は争い、勝った兄ロムロスが町を作ります。ローマという名前はこのロムロス由来と言われたそうで、双子が狼に母乳をもらう像はローマでは有名なようです。ローマには行ったことが無いのでわからないのですがヴェネツィアで見たような気が…記憶違い?

 

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古代ローマはギリシャのポリスと同じ都市国家で小さな一つの市街をまとめるだけの国でした。紀元前750年くらいから前500年くらいは共和制になる前の王政で、ラテン人、サビニ人、エトルリア人などの多くの人種が住んでいたようです。エトルリアは長い間イタリアの語源ではないかと言われていたようですが、最近では懐疑的なようですね。共和制になる前のローマの自体、確実な歴史とは言えないようで、伝説というか神話というかいずれにしても正確な歴史が残るような強い国家としては成長していなかったようです。

 

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トロイアは以前にも少し紹介しましたが、今のトルコのイスタンブールの少し南、黒海からエーゲ海の出口にあった国です。問題はトロイアがギリシャに敗れたのは紀元前1200年頃と言われていますので、少し…いえローマができたと言われる年から450年ほどのずれがあります。このエーゲ海を中心とした文明には歴史が欠落している時代があり、空白の4世紀と呼ばれているのだそうです。そうだとすればローマができた年代はもう少し古いのかもしれません。

 

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空白の4世紀が空けたエーゲ海の歴史、それはポリスの歴史とも言えます。ローマの話に入ったばかりですが、その背景として少しギリシャに話題を戻します。

 

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2015年10月23日 (金)

世界の歴史を少し正確に理解する アショーカ王とカニシカ王

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インドに関する日本での歴史教育は偏っています。何に偏っているかといえば「仏教の歴史に」です。ヒンドゥー教を信仰した国々や王の歴史が紹介されることはほとんどなく仏教を保護した王二人だけが記憶に残っています。一人はアショーカ王、もう一人がカニシカ王です。アショーカ王は名前が覚えやすい事もあって記憶に残っている人が少なくないと考えています。

 

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アショーカ王は紀元前268年頃のマウリア朝の王です。インドほぼ全域に加えパキスタン位までを支配領域に加えた大国で、首都はガンジス河の近くに置きました。仏教を保護して、仏舎利(仏陀の墓、日本では五重塔など)を多数建築しています。アショーカが仏教に帰依した理由は戦争で多くの死者を出した苦しんだためと言われており、四苦や解脱に共感したのでしょう。人間味にあふれる王だったと想像できます。

 

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カニシカ王は西暦130年頃からの王…って、アショーカ王より400年ほども後の王様だったのですね。クシャーナ国って国の名前まで違います。アショーカ王とは全く関係が無いのですね。カニシカ王は仏教を保護したというより宗教の自由を認めた王様と言えるように見えます。しかしインドの場合、民間から王族までバラモン教、ヒンドゥー教の階級制度がしみついているので基本的に仏教への切り替えは困難です。現代でさえも階級制度が残っているのですからね。

 

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二人の王はインドでまさに例外的な宗教観を持っていました。インドの歴史では扱われないかもしれませんが、アショーカは強大な王でしたので仏教徒であったという事を除いてインド人の歴史で学ぶかもしれません。インドの歴史についてはもう少し詳しく調べたほうがよさそうにも感じますが、確かにあまり興味がわきません(笑)

 

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2015年10月22日 (木)

世界の歴史を少し正確に理解する 大乗仏教と上座部仏教

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初期の仏教は仏陀のように出家が必須、修行もハード、これではほとんどの人が助かりません。そこでもっと気軽にみんなが助かる宗教として考えられたのが大乗仏教、みんなが乗っかれる大きな船の仏教です。今は日本にのみ残る仏教の宗派でしょうか。中国にも多少仏教徒はいるかもしれません。大乗仏教では釈迦以外の神様が頻出、例えば菩薩は解脱に到達したか修行中の人たちで、観世音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩などがいらっしゃいます。日本では神と誤解されますが、神ではありません。密教では如来がおり大日如来や浄土真宗の阿弥陀如来が有名ですね「南無、阿弥陀仏」の阿弥陀仏です。おもしろい所で閻魔は地蔵菩薩と同一の存在として描かれる場合が多く、京都の六波羅は地獄の入り口なので閻魔の像が多いけれども、周りには地蔵がたくさん存在します。密教の総本山である六波羅蜜寺を訪れて重要文化財の仏像を見てきました。平清盛の像もあり、感動しました。機会があればぜひ宝物殿へ。

 

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仏陀は本来ヤハウェと同じく偶像崇拝を禁止しており、仏陀の肖像も書かれることはありませんでした。しかしそれではお祈りが難しいので徐々に仏像ができ、さらには菩薩や如来の像までできていき、大量の神様と仏像が存在する宗教になりました。これは大乗仏教に限りません。タイには巨大な涅槃像がありますからね。ただしタイの仏像は観ていただければわかりやすいのですが、アジア人顔です。日本の場合はヘレニズム文化と交わりましたので彫が深い、ギリシャ人顔です。

 

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小乗仏教という差別用語で呼ばれていた上座部仏教、本来の仏教に近く出家による解脱を目指す宗派です。タイやカンボジアなどでオレンジ色の袈裟を着て出家したお坊さんを見かけます。なぜ小乗かと問われれば、自分しか助けない小さな船という意味ですが、それは本来の仏教徒の姿なのに大乗仏教の人たちが名付けた差別的な表現であり今は使いません。ただし大乗仏教との差はわかりやすい表現でしたね。解釈の違いですが、上座部仏教の方がオリジナル仏教に近いと感じますし、敬虔な仏教徒の数では大部分を締めます。

 

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大乗仏教のみが中国語になり、日本に伝わりました。中国や日本でいろんな解釈が行われ細分化したのは御承知の通りですが、世界史では扱いません。

 

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2015年10月21日 (水)

世界の歴史を少し正確に理解する 仏教の根本

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仏教の根本目標はバラモン教にある輪廻転生からの解脱です。仏陀とは「悟りを開いた者」という意味です。仏陀の悟りは自己鍛錬(苦行)からしか達成できず、ヨーガの坐で瞑想して悟ります。悟りは人に教えられませんが仏教は修行方法を説明します。仏教には本来神がいません。インドの神々は出てくるのですが、解脱する修行手順が仏教ですから神の介在余地がありません。そのため創世神話は「本来」ありません。キリスト教が旧約聖書の創世神話を用いるように、仏教でもバラモン教の創世神話を使います。

 

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修行の原則は8つの正道を身に着ける事です。正見「正しく物事を見る」、正思「正しく考える」など人間の8つの正しい道が書いてあり、宗教書よりも哲学書に近いと言われる所以です。旧約聖書の十戒に近いようにも見えますが、仏教に神は関与していません。正道を守らなくても罰則はありませんが、解脱する事はできません。解脱はこの8つの正道を悟った人のみが達成できるのですが、ほとんどどの人が悟れません。転生輪廻の考え方では先祖が足元にいる蟻だったりコンクリートの隙間から生えている雑草だったりするので、日本人は例え植物であってもむやみな殺生を嫌います。

 

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仏教は自分を助ける事しかできないし厳しい修行が必要です。その為インドでは広がりを見せず、ヒンドゥー教に取り込まれ消滅。中国にも残っていませんし、聖地と言われるネパールでも現在の人口の大部分はイスラム教徒で仏教は文化として残っているという印象です。タイ、ミャンマー、カンボジアなど東南アジアの一部に残っただけです。日本は「他力本願」という修行しなくて大丈夫という魔法の言葉、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などを編み出して生き残りましたが、これが仏教なのかと首をかしげたくなります。

 

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仏教の派閥について、少し調べておきます。大乗仏教と上座部仏教です。

 

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2015年10月20日 (火)

世界の歴史を少し正確に理解する 釈迦

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菩薩や如来は仏陀ではありません。本来は釈迦一人が仏陀であり、唯一神ではありませんが宗教上唯一の存在です。仏教はいろんな派閥に分かれ、特に大乗仏教で菩薩が誕生したため仏陀ではない仏像が作られました。本来、仏教は仏陀唯一であり偶像崇拝を禁止していたようです。偶像崇拝が禁止されていたので、仏陀の姿はわかりません。ヘレニズム文化で日本の仏陀はギリシャ人顔になっています。

 

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仏陀、ゴウタマ・シッダールタは紀元前5世紀頃のインド北部、クシャトリア国のバラモン、王の子です。バラモン教は神と王が一体化しています。仏教は王宮から出たことがない王子が外に出てショックを受ける所から始まります、有名な「北門から出たら…」です。この時にゴウタマは結婚して、しかも複数の奥さんがいたようで、子供までいました。そんな年齢で初めて王宮を出るのですから、超お坊ちゃんです。

 

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彼が門の外で見たのは病人、老人、死人でした。自分もいつかはそうなると悟り、生きる事自体が苦難だと考え、病老死に生を加えて「四苦」といいます。ここからが豪快、桁外れのお坊ちゃまなのですが、29歳の時に国民も家族も捨てて出家、クシャトリアという小さな国やゴウタマの家族がその後どうなったのかはわかりません。仏陀は40日間の断食など苦行を繰り返し、35歳の時にブッダガヤの菩提樹の下で魔人マーラの妨害を退けて悟りを開きます。仏陀は人に諭すつもりはなかったのですが、梵天(ブラフマー)が人々に説くよう命令し、仏陀は説法を始めるのです。

 

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悟りを開いたはずなのに仏陀の説法は変化します。もしくは聞いた人によって解釈が違ったのでしょうね、大乗仏教や上座部仏教などの派閥が生まれ、その他細かい宗派が分かれてしまいます。解釈の余地が極端に高い宗教となってしまったのです。もちろん、キリスト教でもユダヤ教でも解釈の違いで宗派が分かれています。キリスト教でもキリストが死ぬ間際に発した言葉、福音書ごとに解釈が異なっているのです。伝言ゲーム、聞いた人の受け方によっても宗教解釈は異なります。仏教の経典は仏陀が書いたわけではなく後世の人が書いたので混乱しています。

 

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2015年10月19日 (月)

世界の歴史を少し正確に理解する 仏教

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信仰し戒律を守るのがユダヤ教とイスラム教、過ちに許しを請うのがキリスト教、未来を願うのが神教、宗教にも心の持ち方に大きな違いがあります。仏教は自己研鑽で輪廻転生からの解脱、二度と生物として生まれ変わらないように自分を磨きます。日本では他力本願による救済を祈願する浄土真宗などに代わり、葬式宗教になっていますが、ここでは日本の仏教を忘れ、本来の仏教と仏陀の教えについて整理します。

 

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ユダヤ教が世界に広まらないのは人種限定に加えて戒律が極端に厳しいためでしょう。仏教は世界三大宗教の一つと言いますが、仏教徒はヒンドゥー教徒よりはるかに少なく、日本にも本当の「仏教徒」と言われる人は少数です。仏教が世界に広がらない一つの理由は、厳しい修行が原因でしょう。

 

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仏教には戒律を守るだけのユダヤ教やイスラム教に比べれば厳しい「修行」「出家」があります。仏教徒は家族と別れて生活し、厳しい食事制限、結婚は禁止されており(それ故に世襲は考えられず)、いくら頑張っても助けるのは自分だけです。修行の手法は教わりますが、本人の修行が無ければ悟りは開けません。しかし全員が出家すれば生産的な社会が成り立たず、国が滅ぶというジレンマがあります。その厳しさと社会破壊性のため、本気の仏教徒は少なくユダヤ教信者数と同程度ではないでしょうか。

 

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その厳しい修行を行った仏教の開祖、釈迦について調べてみましょう。

 

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2015年10月18日 (日)

世界の歴史を少し正確に理解する 高句麗

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韓国に「韓」という漢字を使ったのは中国です。日本は中国に与えられた倭を和に変えましたが、韓国は韓の文字を使い続けます。韓は「ハン」と読みますので「モンゴロイドかな?」と思ってしまいますが、韓国でのハンは王の意味であり、単に「王国」という意味になりそうです。

 

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朝鮮半島には3つの国があり三韓時代と呼ばれます。これらは百済、新羅、伽耶となります。特に伽耶(任那)は日本との関係が強かったと考えられていますが、それはもう少し先の話としましょう。紀元前、満州に高句麗ができます。ツングース民族という事ですので、ざっくりモンゴル系に入れて構わないのでしょうね。言語体系も人種も日本人は高句麗に近いと考えられています。その高句麗は現在の北朝鮮あたり、朝鮮半島の中心まで攻め込み、首都をピョンヤンに移します。

 

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さて高句麗が中国なのか韓国なのか、発祥が満州だけに両国で論争になっているようですね。建国は紀元前なのですが、朝鮮半島での覇権争いが有名なのは4世紀ころの話なので、とりあえず韓国の歴史も紀元前に始まったという事にしておきます。高句麗は西暦688年まで続いた息の長い国です。

 

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それでは仏教の話を始めます。

 

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2015年10月17日 (土)

世界の歴史を少し正確に理解する 漢書と後漢書

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漢書は後漢時代に書かれた前漢時代に政府がまとめた正史です。漢書は司馬遷が書いた史記の裏付けとして重要です。一方で史記のような物語性は少ないため、書物としての面白みはありません。

 

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少し飛びますが三国志は世界有数の歴史書で、史記に匹敵します。私たちが良く知っているのは三国志を題材に面白さが追加された三国志演義です。三国志もそうですが中国の歴史は必ず次の時代にまとめます。三国志の時代には国が分かれてしまいましたので、小さな国ごとに後漢書があるようです。ただ戦争時代だったため散逸し、今は南朝「宋」で書かれた後漢書が残っています。

 

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120巻構成で詳細すぎるせいか、史実と異なる伝説的な内容が含まれるようです。この本は漢が滅んでから200年も経って記載されているのですから仕方がありません。この後漢書に「東夷伝」があるのですが、ややこしい事に漢の次の時代の三国志「魏志倭人伝」が先に書かれており、後漢書の東夷伝は三国志を参考にしているのではないかという混乱があるようです。後漢書に倭国の「すいしょう」という人物が登場しますが、卑弥呼以上に謎で国王だったかどうかさえ分かっていません。私も彼(彼女?)の名前は全く知りませんでした。

 

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次に中国の周辺国について見ておきましょう。

 

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2015年10月16日 (金)

世界の歴史を少し正確に理解する 後漢

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王莽のクーデターで前漢は滅亡しますが、光武帝により後漢が成立します。

 

前漢末期に6000万人近くいた漢民族は2000万人近くに減少しますが戦争で死亡したわけではありません。日本という島国ではわかりにくい現象ですが、支配範囲の縮小、支配力の低下により人口が把握できなくなったようです。なぜ後漢は支配力が弱くなったのでしょう。光武帝は立派な皇帝でしたが3代目からは幼帝で、宦官や皇太后により支配されます。当然統率力には欠けます。

 

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光武帝は徴兵制を止め雇用兵による軍隊に切り替えて大幅なコスト削減に成功します。徴兵制の弱点は人口により軍隊規模が大きく変わり、人口が増えるとコストが比例的に増加する事です。国家予算が組みにくいし、人口が減ると軍隊が弱小化します。日本の自衛隊も雇用兵ですから予算管理は適切ですが、志願者が減って雇用自体には苦労しています。後漢の弱体化、戦力の低下も雇用兵制度が原因だったかもしれません。

 

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後漢は日本とも国交があり、福岡で金印が見つかっています。国力が弱くなったと言いながら次の三国時代に皇帝が滅ぼされるまで200年近くも続いています。ただし中央政権による支配は徐々に弱くなり、地方の豪族が力を付けた時代です。そんな支配とは言えない国家の時代が長すぎたため、地方の有力な豪族が増えすぎて三国時代という混乱の時代につながってしまった、日本の戦国時代の前の室町時代に似ています。

 

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この時代は漢書と後漢書に記載されています。どのような歴史書だったのでしょうか。

 

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2015年10月15日 (木)

世界の歴史を少し正確に理解する 史記

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前漢の武帝の時代、司馬遷による130巻の大作「太史公書」、「史記」と呼ばれます。司馬遷は武帝に投獄され皇帝への不信感を抱いて客観的な歴史を書く決意します。「王道に正しい道(天道)はあるのか」過去の支配者を研究し客観的に評価します。武帝に見つかると怒りを買う書物である史記は長い間封印され、孫が広めたのだそうです。

 

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史記は皇帝や諸子百家毎に史実と「是非」をまとめています。神話(五帝)の時代から武帝の時代までを含んでおり、夏、殷についても記述がありますが夏や殷も「神話」と考えられていました。しかし近年、夏や殷に相当する考古学上の発見が続き、中国の人も史記の正確さに驚いたのです。中国はモンゴルによる支配の時代もあり、中国の歴史に興味のない王もいたはずですが、史記は失われませんでした。

 

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ここまでの中国の歴史の出典は史記と言っても過言ではありません。史記にはたくさんの四字熟語、慣用句が記載されています。例えば先日紹介した臥薪嘗胆などは史記に説明があります。四季の一つの面白さは単に歴史を記述するのではなく四字熟語や格言の語源を説明している点です。歴史書と言いながら物語性があることも人気のある理由です。

 

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卑弥呼が生まれるはるか昔の中国の詳細な歴史です。その中国の歴史が詳しく残っているのは司馬遷という天才のおかげです。

 

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2015年10月14日 (水)

世界の歴史を少し正確に理解する 前漢

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紀元前206年に成立し西暦8年に滅亡した前漢、劉邦が建国し首都は中国の西の高地にある長安でした。劉邦の妻である呂后は劉邦が死ぬと劉家を一掃し呂家支配を進めるのですが、彼女の処刑があまりに残忍で息子の恵帝がショック死する程でした。呂后が亡くなった後に巻き返した劉家の文帝は政治経済に優れた人で、春秋戦国時代に疲弊した経済と治安の復興を進めました。7代皇帝である武帝の時が全盛期で最大面積に到達します。

 

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武帝は儒教を利用して中央集権支配を強め、ベトナムや朝鮮半島へも支配範囲を広げシルクロードを整備し、交易において「中華」を明確に示し始めました。その武帝は不老不死をめざして寿命を縮め、皇太子が8歳の時に死去。幼帝が立つと国は弱体化しはじめます。クーデターや権力争いが続き、漢は危機に陥りますが宣帝が立て直します。

 

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武帝の時代に重要な歴史書、司馬遷の「史記」が生まれました。中国は歴史を客観的にとらえ主観を排除する傾向にあり、神話がほとんど無い理由と言われています。客観的な歴史書の代表が史記で、子孫を見つめ歴史を語り継いでいます。日本の日本書紀などは天皇家が自分の子孫に向けて書いているので神話だらけですし、天皇家が過剰に装飾されています。史記と古事記や日本書紀を同等の歴史書と考えてはいけません。

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史記について少し調べておきましょう。

 

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2015年10月13日 (火)

世界の歴史を少し正確に理解する 漢民族の国「漢」

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中国で最も人口が多いのは漢民族です。中国の国境線は時代で異なりますが、前漢時代が漢民族の領域をよく表しています。現代でも少数民族が多い南部やウイグル、モンゴル、チベットなどの「自治区」は中国政府の完全な支配が行き届いているとは言えませんが、前漢の領域ではこれらの地域を完全には含んでいません。

 

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中国人民は漢民族と言わず「華夏民族」と自称します。「華」は中国神話の神族で、現在の国名「中華人民共和国」にも含まれます。「夏」は夏王朝の意味です。ただ中国の人たちを漢民族と言っても大きな問題はありません。夏、殷、秦、漢などは華夏民族の国なので抵抗感はないようで、日本だけではなく周辺国では「漢民族」という漢字を充てるようです。余談ですが西洋では秦民族 (Chinese) と呼びます、面白いですね。

 

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ただ疑問があります、なぜ私たちの文字は「漢字」なのでしょうか。後漢が滅んだ220年、日本はまだ有史以前です。日本に漢字が到達したのは56世紀頃と習った覚えが、その頃には漢が滅んで300年ほども経過しています。少し調べてみますと殷の時代に生まれた文字は書きにくく、漢の時代に楷書や草書が整備されたようです。そのため中国でも漢の時代に整備された文字という事で漢字と呼ぶようです。

 

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さてそれではその前漢について見ていきましょう。

 

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2015年10月12日 (月)

世界の歴史を少し正確に理解する 個人的に一番好きな歴史上の人物 韓信

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ダラダラしながら巨大な剣をぶら下げて放浪していた韓信は空腹で老婆に10日間も食事を恵まれたり、子供に「またの下をくぐれ」と言われてくぐったり(いわゆる「韓信の股くぐり」)、かなりのダメ人間でした。その後、項羽等の軍門に着きましたが芽が出ず、巡り巡って劉邦の軍につきます。そこでも芽が出ず、脱走しようとしますが韓信を連れ戻した部下に「韓信は国士無双だ」と言われた劉邦が言葉を信じ、大将軍に大抜擢します。劉邦は軍事的にはまるで駄目ですが人を見る目は抜群、韓信を見定めたことは特に重要な選択でした。

 

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劉邦が項羽と対峙している間に、韓信は周りの国を征服していきます。百戦錬磨、とにかく強い。背水の陣などいわゆる奇想天外な作戦を考え、敵の裏をかき国々を落としていきます。とにかく戦争の時流を読む事に関しては天才であり、相手がどのように行動するかを読み、罠を貼って攻撃します。この頃になると項羽と劉邦に匹敵するほどの領土を得て、斉の国王となります。項羽は韓信に同盟を申し出ますが即時に断ります。次に韓信の部下が「劉邦を裏切り項羽、劉邦、韓信で三つ巴となるべき」と主張しますが、劉邦への恩義から部下であり続ける事を選びます。私は彼のこの選択が最も好きであり、私のビジネス・ライフに大きな影響を与えました。高い軍事力を持ちながら王に尽くす、憧れでした。もちろん私がそれほどの高い技術力を持つことはありませんでしたが、常にそうありたいと望んできたおかげで厳しいビジネス競争に打ち勝てて今のポジションにいると考えています。韓信のおかげです。

 

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戦争をすれば劉邦は韓信に負けたでしょう。項羽さえも勝てませんでした。劉邦は何度戦っても項羽に勝てませんでした。敗走するばかりです。韓信に援軍を頼むのですが動きません。そこで軍師、張良に相談し韓信の領土を広げる事でやっと韓信は援軍を出しました。これで劉邦は項羽を打ち破ったのですが、実質は韓信が項羽を破ったのです。その後、韓信はダラダラしていた頃に食事を恵んでくれた老婆に大金を与え、股をくぐらされたかつての少年を「自分の精神力を鍛えてくれた」と軍隊に採用したのです。義理堅くて前向きでカッコイイ、多くの男性が感じる事でしょう。

 

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その後、韓信は劉邦に処刑されます。韓信は死ぬ間際に「三つ巴になるべき」と部下に言われたとき劉邦を裏切ればよかったと言ったそうです。確かにあの時劉邦を裏切れば、今の中国は大きく様変わりしたかもしれません。漢の時代が来なかったのですから。ただし韓信に劉邦ほどの政治力やカリスマ性があったのかどうかはわかりません。

 

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2015年10月11日 (日)

世界の歴史を少し正確に理解する 項羽と劉邦

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司馬遼太郎先生の小説「項羽と劉邦」は私が好きな小説の5本指に入ります。特に韓信が好きなのですが、韓信の話は次回です。ここでは弱小将軍劉邦が漢の高祖となれた不思議を探ります。劉邦は弱い、戦争に負けた記憶しかありません。ただし諸葛孔明にも並ぶ軍師張良や優れた部下が彼の周りを固めます。そして韓信がいたから項羽に勝てたのです。すごいのは中国の歴史に残る逸材が田舎者のダメ男、劉邦の周りに集まった事です。わかりやすく例えれば劉邦は任侠道の出来の悪い親分でした。ただ人の話をよく聞き、信じます。優秀な人材は提案を聞いてくれる人、自分を信じてくれる人を好きになります。

 

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さて劉邦はどのようにして大国、秦を破ったのか。いえ、秦の自滅です。劉邦は単に洛陽に一番乗りしただけです。劉邦は秦の城の財宝と女に目がくらんだのですが、張良が戒めます。この張良の戒めが無ければ漢はなかったでしょう。劉邦が偉いのは誘惑に負けず部下の進言を聞いたことです。人民と部下の信頼も大きく上がります。その後、項羽が秦の城に到着します。項羽の部下は劉邦を殺すように勧めますが、項羽としては劉邦が大人物とは思えず逃亡を許します。危機一髪で「鴻門之会」と言われています。項羽はジェノサイド好きと感じられるほどに皆殺しと略奪を好み、劉邦が手を付けなかった秦の首都を徹底的に破壊し尽くします。項羽は敗戦するまでに何十万、何百万もの人を生き埋めにするのですが、そんな穴を掘るのは大変ですよね。方法は簡単、自分で掘らすのです。当然、住民からの信頼はありません。

 

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劉邦はとにかく戦争に弱く、すぐに逃げるので、張良は劉邦の威厳維持が最重要課題だったのではないでしょうか。最後は結局、韓信が助けてくれました。関羽が垓下の戦いで項羽を倒します。四面楚歌とは項羽の祖国である楚国の歌が漢の軍隊から聞こえたことで「ついに楚も漢に協力した」と理解し(もしくは誤解し)戦意を喪失、敗戦につながったそうです。項羽は残酷ですが部下には誠実でしたし、とにかく戦争に強い、軍事力で言えば韓信と項羽が双璧だったと感じます。それなのに酔っぱらいの劉邦が大国「漢」をつくるのですから歴史は面白いですね。

 

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なお項羽の愛人は虞美人、劉邦の妻の呂后は世界三大悪女の一人でとても怖い人です。他にも赤兎馬など、日本のゲームやアニメ業界にも出てくるような有名人が並んでいます。機会があればぜひ小説「項羽と劉邦」に手を伸ばしてみてください。

 

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2015年10月10日 (土)

世界の歴史を少し正確に理解する 宦官

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中国の歴史を学んでいく時に避けては通れないのが宦官という支配階級です。中国の皇帝は子孫を残すため一夫多妻です。間違いを起こさないため、皇帝の近くで働く男性は自分の性器を切って職に就きます。これが就職の条件なのです。彼らを宦官と呼びます。

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宦官は子孫を持つことはありませんし、性欲もありません。そうすると人間は不思議なもので支配欲が強くなるようですね。今後何度も同じ話が出てきますが、皇帝が幼少で任につき宦官が摂政として実質支配をするのです。よく皇后がグルです。あまり良い表現ではありませんが、女性タレントと極端に仲が良いニューハーフ・タレントを見かけます。宦官には人妻に気兼ねなく近づけたのです。

 

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ただし今のように手術の技術があるわけではありません。宦官の試験の難しさに加えて性器を取った時に出血で死んでしまう人は少なくなかったそうです。大変ですね。日本の中央政権の歴史には色っぽい話がたくさんあります。中国でそのような混乱はあり得なかった、これが宦官のシステムです。

 

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始皇帝の次の皇帝は宦官の陰謀にあい幼少でした。始皇帝の長男は自害に追い込まれています。結局、これが国を滅ぼした理由になったのです。

 

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2015年10月 9日 (金)

世界の歴史を少し正確に理解する 始皇帝と万里の長城

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始皇帝は度量衡を定めるなど行政力に優れていました。度量衡って単位を整えるだけと勘違いしますが、通貨(つまり為替レート)それから量売の秤の重さ基準を決めたのです。100g100円と言いながら100gが人によって違うのであれば「詐欺だ!」となりますよね。短期間に中央集権を確立した事からも強烈な政治力を感じます。ただ金遣いと人使いが荒かった、巨大建築が好きでした。大宮殿の阿房宮、巨大墓所の兵馬俑、特に万里の長城が有名です。現代の万里の長城は明代の物ですし、秦ができる前から万里の長城はありました。本来は戦国時代の国境線であった万里の長城、秦が中国統一をした時に国内の長城は破壊し、支配の及ばない北側のみを強化します。壊して作る、全国に労働者が必要だったでしょう。ちなみに現代の万里の長城は近隣住民にレンガを盗まれ崩壊状態、良好な状態は10%以下のようです。ただ長いので10%近くも残っていたら十分ですけどね。

 

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焚書坑儒という思想弾圧は、中国、いえ世界の歴史にとって大損失でした。これは儒教等を禁止するための法令で思想弾圧です。儒教は漢の時代に国教となって戻ってくるのですが、活版印刷の無い当時、大部分の歴史書が焼かれ、しかも学者までも殺されたことは中国の歴史を闇に葬る行為でした。儒教は民間に広がっていましたから、禁止されることで民間の不満は高まったのでしょう。一方で漢が長く続いたのは儒教を国教として選んだからでしょう。

 

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始皇帝のもう一つの失敗は不老不死を追求したことかもしれません。不老不死となり永久に支配するつもりですから、後継者が育たなかった、育てなかったのでしょう。後継者を育てる国王は少ないのですが、帝王学が整理されておらず封建主義に便利な儒教まで禁止してしまったので人臣がまとまりません。儒教「仁義礼智信」は階級社会にとっての基本思想であり、その儒教を禁止していたので支配システムが壊れてしまったのでしょう。

 

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始皇帝のいない秦はあっさりと弱小軍団劉邦に敗れます。劉備玄徳は中国を統一できませんでしたが、弱小なのに劉邦は漢という国を作ります。彼にあったのはカリスマ性だけ、そして驚くべき才能のある人物たちが彼の周りを固めてくれたのです。

 

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2015年10月 8日 (木)

世界の歴史を少し正確に理解する 戦国時代を終わらせた秦

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中国はChinaもしくはシナと呼ばれますが、その語源が「秦」(Chin) だそうです。秦は中国最初の中央集権国家で強大な力を持っていたのに、紀元前221年から前206年と寿命が短く、実質始皇帝1代で滅んだ国と言えます。春秋時代から戦国時代、秦は現在のウイグルあたり函谷関より西であった国でした。函谷関の外は中国の外という扱いで、中原の国々からは差別的に見られていました。面積は広いのですが強国とは言えません。

 

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紀元前247年、13歳で即位した「政」は前241年に趙、楚、魏、韓、燕の5か国連合を撃破します。この辺りのいきさつは司馬遼太郎の「項羽と劉邦」に説明があります。比較的短い2巻構成、しかもとても面白いので是非読んでください。政は首都を咸陽つまり渭水の畔におきます。漢の首都、長安の近くで少し北部寄り、内陸の都市です。

 

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秦の面積は現在の中国に匹敵します。中国の歴史は長いのですが小国ばかり、中国全土統一国家の歴史は秦から始まると言えます。また「政」は中国で始めての皇帝を名乗り、始皇帝と呼ばれます。中国はハン族(モンゴル)や秦のようなウイグル族に何度も占領されますが、重要なのは一貫した「中原」という考え方であり、漢民族、中国という国の形です。中原の中国という国の形を作ったのが秦と言えます。

 

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秦がすぐに滅んだ理由は「政」つまり始皇帝の政治にあるのでしょう。

 

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2015年10月 7日 (水)

世界の歴史を少し正確に理解する 日本にまで到達したヘレニズム文化

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アレクサンダー大王の東方遠征で、ギリシャ文化とオリエンタル(中東)の文化が混ざってしまいました。なぜ混ざったのか、明治の文明開化を思い起こします。中東ではギリシャ芸術、ギリシャ哲学、ギリシャ神話等が人気でした。一方、地中海でもオリエントの文化を取り入れました。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケなどがヘレニズム文化に分類されます。ヘレニズム文化はガンダーラから大乗仏教に乗って日本の仏像にまで影響を与えておりヨーロッパから日本にまで広がった一大ブームでした。

 

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ギリシャ人の先祖ヘレーンが語源と言われるヘレニズムは「ギリシャ化」という意味です。中東ではギリシャ化が文明化と意識されたようです。明治維新で日本は一瞬のうちに日本文化を捨て去ってしまいましたが、一部で日本文化と西洋文化が混ざって和洋折衷が生まれます。ヘレニズムはギリシャ文化と中東文化の「折衷」です。押し付けられた文化ではなくギリシャ文化への憧れで積極的に取り入れたようです。ただしヘレニズムと一神教で偶像崇拝を許さないユダヤ教文化だけとは対立します。旧約聖書にも神殿にゼウス像がおかれ大問題が発生したことが記録されています。

 

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アレクサンダーが広めたヘレニズム文化を取り入れて3つの国が誕生しています。アンティゴノス朝マケドニア(トルコ)、プトレマイオス朝エジプト(エジプト)、セレウコス朝シリア(シリア、メソポタミア、ガンダーラからパキスタンあたりまで)の3国です。ギリシャ人の混血であるエジプトのクレオパトラはローマ帝国に滅ぼされました。最も巨大な国はセレウコス帝国でした。アレクサンダーの後継を名乗るディアドコイが建国し、紀元前312年、マケドニア消滅後にすぐに興り、前63年にやはりローマに滅ぼされています。シリアとエジプトは戦争の歴史が長く、間にあって板挟みのイスラエルは大変でしたね。ゼウスの像をエルサレムの神殿においたのもセレウコス朝でした。苦しいエルサレムは救世主を望んでいます。

 

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さてキリスト生誕が近づいてきましたが、話題を中国に切り替えます。

 

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2015年10月 6日 (火)

世界の歴史を少し正確に理解する アレクサンダー大王

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世界の歴史を代表するヒーローとして扱われるのがアレクサンダー3世、アレクサンダー大王です。彼はギリシャのマケドニア地方出身です。東方に遠征してアケメネス朝(ペルシア)を倒し、巨大なマケドニアを作ります。ただし彼のカリスマ性は巨大すぎて、彼が死ぬとすぐにマケドニアは滅亡します。彼の名前は旧約聖書やコーランにも出てくる残虐な大王ですが、残虐だった織田信長や豊臣秀吉が今ではヒーローとして好かれるようにアレクサンダーも人気があり、紙幣などに描かれることもあるようです。

 

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彼が王になったのは紀元前336年で、東方遠征と言いますが(ペルシアに支配されていた)エジプトにも行っています。エジプトで有名な都市アレクサンドロスの他にもいろんな国にアレクサンドロスの名前が残っています。彼はエジプトのファラオを兼ねますし、ユダヤ人をエルサレムに戻したペルシア王国を滅亡させています。その間、皆殺し、略奪、強姦は強烈で、民族や文化が「ごちゃ混ぜ」になってしまいました。そのごちゃ混ぜ文化がヘレニズムです。

 

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ヘレニズム文化はきれいな言葉を使えばギリシャ文化とオリエント文化の融合です。タイの仏像がアジア人顔なのに、日本に到着した仏像はギリシャ人顔になった原因がヘレニズム文化です。アレクサンダー大王は自分をヘラクレスとアキレウス(アキレス)の子孫だと考えており、自分が生まれたマケドニアはヘラクレスが作った国と信じていたようです。ヨーロッパの国がペルシアを征服した歴史は少なく、アレクサンダーは後世の東ローマよりはるかに広い、インド近辺からアフリカ北部、ギリシャまでを含む巨大国を作りましたから、確かにギリシャやヨーロッパにとってヒーローかもしれません。

 

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私のイメージは鬼のような(ラオウのような)大男です。ヘラクレスの影響ですね。

 

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2015年10月 5日 (月)

世界の歴史を少し正確に理解する アケメネス朝ペルシア

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ヨーロッパは感謝しなければいけません。

 

紀元前550年頃から200年ほど続いたアケメネス朝ペルシアがなければ旧約聖書は消滅し、キリスト教もイスラム教も生まれなかったはずです。旧約聖書の記録によればアケメネス朝がユダヤ人をカナンの地に帰しました。アケメネス朝の最大領域はギリシャ、エジプト、メソポタミア、イラクを通り過ぎ、ガンダーラやパキスタンに広がります。首都はペルセポリス、スサですあり巨大帝国です。

 

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「ペルシア」はペルシア絨毯やペルシア猫で耳慣れた言葉ですが、イランの地を表す古い地名だそうです。イランが「ペルシアではなくイランと呼んでほしい」と訴えて名前が変わりました。最近は多くの国が自国の呼び名に変えており、グルジアがジョージアに国名を変えましたね。日本はジャパンからニッポンに変えてもらわないのでしょうか。日本海が韓国で東海と呼ばれるように、ペルシア湾はサウジアラビアでは別の名前で呼びます。ペルシア湾=イラク湾ですから抵抗があるようです

 

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アケメネス朝はユダヤ人など人種の垣根を越えて優秀な人材を採用した多民族国家です。また捕囚により集められた民族を生れ故郷に帰した優しさもあります。ゾロアスター教という宗教のおかげなのかもしれません。アケメネス朝はアレクサンダー大王に敗れ、彼が去った後のペルシアには、「何々朝ペルシア」が多発します。ペルシアはつきますが、これは単に地名ですから全く異なる国、単に現イラクの位置に首都を置く国です。民族さえ異なる場合もあります。

 

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イラクがペルシアと呼ばれたくなかったのは国家名というより地名だったからなのでしょうね。

 

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2015年10月 4日 (日)

世界の歴史を少し正確に理解する フニクリフニクラはどこに行ったのか

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またもや脱線します。

 

ヨーロッパのアルプスは活発な新期造山帯です。イタリア南部には大きな火山があります。エトナ山は過去に1万人を超す死者を出し、近年でも飛行ルートに影響した噴火がありました。更に紀元79年のヴェスヴィオ火山大噴火は有名です。火砕流に襲われたポンペイは5mも火山灰が降り積もり滅びました。悲劇は火山灰の下に保存され、18世紀から発掘が行われました。

 

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発掘された壁画やフレスコ画は色鮮やかで保存状態がよく、家財道具も残っており当時の生活がわかります。有名なアレクサンダーの肖像画もポンペイで発掘されました。ローマ帝国の多くの遺跡は抜け殻、骨だけの遺跡ですが、ポンペイは時間を瞬間冷凍しています。「死の瞬間」を切り取った人型には涙さえ流れそうです。

 

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ヴェスヴィオ火山は活火山です。CM曲フニクリフニクラで有名な登山電車は1940年頃の噴火で破壊されました。火山は怖い一方で観光地としての魅力にはあふれます。いつかはヴェスヴィオ火山を見に行ってみたいですし、その瞬間に噴火しない事を祈っています。ヴェスヴィオ火山にも登山電車が復活する日が来ると期待しますし、その時はまたフニクリフニクラを歌えるといいですね。

 

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火の山に神が宿るという神話が各地にあります。巨大なマグマを噴き上げる火山は荘厳で人間の無力さを実感する瞬間です。

 

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2015年10月 3日 (土)

世界の歴史を少し正確に理解する モンゴル人の拡大

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現在、モンゴルと言えば中国の北にある小さな内陸国です。放牧を生業とする牧羊民族という印象ですね。とてもかつての強国だったとは想像できません。しかしチンギスハンによる中国支配「元」は世界最大の面積を誇った国でした。さて日本への影響はどうでしょう。元寇は有名ですが、それだけでしょうか。日本人は蒙古斑をもって生まれます。そうモンゴル人の血が流れています。相撲の世界を見ますとモンゴル人の横綱ばかり、パワーでは勝てないのです。そして日本は清、満州と強いつながりを持っていました。

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ヨーロッパはどうでしょう。「ハンガリー」は名前の通り、ハン族、モンゴル系の影響があるようです。ハンガリー人にも蒙古斑があるのです。ゲルマン民族の大移動は有名ですが、移動を強いられたのはハン族の圧力が原因でした。その影響でヨーロッパに住んでいたケルト民族はイギリスやその周りの諸島に追いやられました。

 

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ペルーやチリでも日本人に似た顔の人がおり、蒙古斑があります。つまりモンゴロイド、テルマエロマエという映画で言う所の「平たい顔族」です。ちなみに韓国の人たちに蒙古斑は少なく、モンゴロイドの影響は大きくありません。とにかくモンゴルという民族は血液の面(遺伝子の面)でも人種という意味でも優秀で力が強く、戦闘的です。ハン族(フン族)の移動は古代から近世に至るまで戦争の元凶になっています。

 

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古代文明に対するハン族の影響はわかっていませんが、少し気にしながら見ておく必要がありそうです。

 

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2015年10月 2日 (金)

世界の歴史を少し正確に理解する 歴史について思う事

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脱線します。人間が進化するためには情報の蓄積が必要です。

 

人間は子供が生まれるまでの20年から30年の間だけ遺伝子への書き込みを行います。医学的ではありませんが、人間が遺伝子として進化してきた以上、ゆっくりではあるのですが「遺伝子を書き換え、情報を蓄積する」現象は何らかの形で起こっていると考えられます。しかし子供を産むまで私たちが成長する時間は短く、子供が生まれた後、素晴らしい哲学書を読み自分の遺伝子に素晴らしい性格を書き込んでも後世に残すことはできません。先日読んだアドラーの心理も子孫の遺伝子に織り込むことができないのです。遺伝子には記憶は記録できません。基本的には性格、能力、少し広く言えば文化を蓄積します。

 

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子供が生まれた後、親が子供に影響を与えられる時間は長くありません。第二次反抗期まで、12歳くらいまででしょうか。この年齢で難しい学問は教える事ができません。人生、40代以降の各個人の進化は子供には伝わらず、他人、世界に向けて発信するしかありません。歴史の古い順から言えば、発信する技術は口頭による伝承、絵画と文字による伝承です。インターネットができた時代、文字と映像が飛躍的に伸びましたが不正確で整理されていないデータが増えすぎ、情報や、いま勉強しているような歴史解釈を見失いがちです。データから選んで自分で整理するしかありません。好みで偏った情報を取捨選択しますが、政治家など一部の人を除けば誰にも影響を与える事はありませんから悪い事ではありません。

 

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子育てが終わり、企業から外れた定年後、一部の小説家や教授を除き私たちの情報蓄積は無駄なのでしょうか。それは「死」という期限を私たちが勝手に設けるから無駄だと感じるのです。自分の命が永遠であると考え勉強を続ければ無駄を感じる事はなく、常に個人的な達成感があります。もしかすると孫に伝える機会があるかもしれません。死の瞬間まで本を読み、考え、会話を楽しめば私たちの進化は続くのです。ただし重大な注意点があります。孔子が言っているように考えなければいけない、記憶だけでは進化がありません。物事を記憶する事は既に歴史に記録されて事象のコピーですから進化はありません。間違っていてもかまわない、情報を元に考え、解釈し、自分なりの意見をまとめる事が重要なのです。それでは英単語の記憶が無駄かと言えば、そうではありません。情報を取り入れるためのツールとして英単語や漢字のボキャブラリー拡大は重要です。ただそれでも覚えるだけでは意味がありません、オウムだってできる。記憶を使って考える、死ぬまで考える事を意識しておかなければいけないのでしょう。死を恐れて、間違えることを恐れて考える事を辞めれば、生きているのに死んだも同じです。

 

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私は学生時代、歴史が嫌いでした。だからこそ今、自分なりに勉強し、人に迷惑をかけながらも勝手に考察して解釈し自分の魂の進化に役立てています。何も恥ずかしくはありません、勉強なんていつ始めたっていいのです。子育てはほぼ終了しましたので…。

 

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2015年10月 1日 (木)

世界の歴史を少し正確に理解する アッシリア王国

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アッシリアは紀元前2000年頃に、バビロンの北にあったメソポタミアの国なのですが、ここでは「新」アッシリア帝国を対象にしています。前934年に誕生した国で、冷徹な軍事国家です。その軍事技術研究のために世界最初の図書館を作った国として有名です。動機はともかく図書館という仕組みを作って歴史を集め、情報を保存するシステムを体系化したという面では大きな偉業です。

 

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この図書館のおかげで、アッシリアは最も多くの歴史が残る古代国家となりました。メソポタミアの歴史が詳しくわかるのはアッシリアの功績があります。しかし軍事的には最悪の国家でもあります。旧約聖書にバビロン捕囚という話題がありますが、それより数百年前、アッシリアは大量捕囚をしています。捕囚とは住民を拉致して奴隷にするという行為で、中世にはアフリカでの奴隷問題がありましたし、日本でも朝鮮の方たちに対する強制労働や大東亜共栄圏という暗い歴史があります。しかしアッシリアの大量捕囚は度を超えており、民族が絶滅するほどの大量捕囚です。事実イスラエルという国は民族的にも絶滅しています。

 

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紀元前600年頃、アッシリアは新バビロニアに敗れます。しかしその軍事システムや政治手法は新バビロニア以降にも受け継がれたと言われています。不幸な時代ではありますが図書館を作ってまで軍事統制システムを研究し、国家維持の体制としてまとめ上げたのはアッシリアの業績です。中には「飴と鞭」のような統制システムも利用していたようであり、中世の軍事国家並みの統率力と軍事力を確立していたようです。

 

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これが紀元前の話なのですからメソポタミアの文化は中国と並び、他の世界より一歩抜き出ていたと実感できますね。

 

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