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2015年5月17日 (日)

日本の歴史を少し正確に理解する 総理大臣

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初代、伊藤博文は5回も総理大臣を務めます。伊藤博文は長州藩、松下村塾生の生き残りです。大久保利通、西郷隆盛、桂小五郎など明治維新の英雄は一度も総理大臣になっていませんが理由は意外と簡単です。内閣総理大臣が制定されたのは明治18年、1885年です。大久保も西郷も桂も既に40代の若さで亡くなっており、生き残っていたのは伊藤博文、山縣有朋位しかいなかったのです。それまで行政は太政大臣が執務していたそうです。伊藤博文が総理大臣となった後、公卿や肥前藩の大隈重信などが挟まりますが、原則長州閥と薩摩閥が交替で務めます。日本を帝国主義にした曲者は伊藤博文です。韓国の人たちが伊藤博文を嫌いな理由にはうなずいてしまいます。

 

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長州と薩摩の交代着任は大正デモクラシー、平民宰相、原敬が現れるまで続きます。原は東京駅で暗殺され、今でも彼が暗殺された場所には印が残されているそうです。東京駅に行ったとき、いつも探したいと思っているのですが、いつの間にかお土産探しに熱中し忘れてしまいます(笑)なぜ伊藤博文が総理大臣になったのか。貴族から選ぶのか長州閥から選ぶのかともめていた時、井上馨の「総理大臣は英語が読めなくては」という一言に山縣有朋が賛同し、イギリス留学経験のある伊藤博文になったというのです。笑い話のようですが、これは逸話で激しい派閥争いがあったのではないかと考えています。伊藤、井上、山縣の3人とも長州派閥です。西南戦争以後という事もあり、薩摩閥は少し力を落としていたのでしょうか。

 

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伊藤博文は44歳で総理大臣となり、5回目の時に韓国で暗殺されます。今でも韓国では悪役筆頭と位置付けられる伊藤博文ですが、その原因となった征韓論や韓国併合についてはまた後日触れる事にします。日本が大政翼賛会のクーデターにより変わる昭和初期までは、少しずつ勉強していきます。第二次世界大戦後の総理大臣については触れません。特に高度成長期以降、私にとっては歴史ではなく過去でしかありません。「伊藤博文は選挙で選ばれていない」と問題したくなりますが、今でも内閣総理大臣は選挙ではなく政党による指名制です。これが民主主義として正しい形なのどうか単純には決められません。

 

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ただ一つだけ言えるのは選挙で国民に直接選ばれた方が総理大臣の支持率自体は高くなるはずです。政治が良くなるかどうかわかりませんが、日本の現在と未来を決める内閣総理大臣は国民の選挙で選びたいですね。さて明治維新後の話に戻ります。

 

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