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2015年5月 5日 (火)

日本の歴史を少し正確に理解する 西郷隆盛と大久保利通

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明治維新で薩摩の活躍が目覚ましいのは藩主、島津斉彬のおかげです。彼は長州の吉田松陰に匹敵する人物でしょう。下級武士だった西郷隆盛や大久保利通を発見したのが斉彬です。斉彬の養女が篤姫であり、ドラマにもなりましたね。斉彬は日本をコントロールしようとした藩主と考えています。彼が倒幕まで考えていたのかどうかはわからず、幕府をコントロールする事が目標だったようにも見えます。そのリーダーが西郷であり大久保だったのではないでしょうか。

 

斉彬が亡くなると時代は後退します。西郷は島流しとなり大久保の活動は目立たなくなります。西郷隆盛が表舞台に復活したのは禁門の変の頃です。変化の理由は生麦の変と薩英戦争です。薩摩は大きな変化を求められ西郷隆盛が求められたのです。この時点で薩摩は尊王でも攘夷でもなく公武合体論です。復活した時、西郷は歩けなかったという事ですから厳しい幽閉生活を送っていたと想像できますね。

 

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西郷隆盛は写真が残っていない事もあって、人物像の想像が難しいですね。有名な肖像画は弟と大山巌をモデルにしており、画家本人が西郷隆盛を見た事さえないそうです。写真が無い明治時代の英雄は珍しく、彼が写真嫌いだったことは有名です。理由の一つが治療を受けなければいけないほどの肥満でしょうか。カリスマ性の高い人物、また人の好き嫌いが激しい人物という印象があり、坂本龍馬を鹿児島の家に招いた話は有名ですね。西郷は勝海舟も好きだったそうで、江戸城の無血開城では彼との交渉になります。西郷は古風で度量のある英雄という印象ですが意見を曲げない事も多くあり、日本の最後の大規模内戦となった西南戦争につながります。

 

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西郷隆盛が軍隊の大将、武官であるとするならば、大久保利通には文官という印象が強くあります。多くの明治維新小説は戦闘を中心に描かれることが多く、大久保利通はほとんど出てきません。だからと言って穏健派というわけではなく、西郷隆盛と同様の強硬派でした。明治維新の筋書きを描いたブレーン、軍師であるとも言えるかもしれません。優秀な政治家と感じていますが、西郷隆盛同様、日本の総理大臣にはなっていません。理由はもう少し先に考えてみます。

 

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長州征伐を前後して西郷隆盛と大久保利通が薩摩藩を主導するようになります。ただ長州も幕府もこの薩摩の変化には気が付いていませんでした。

 

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