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2015年5月19日 (火)

日本の歴史を少し正確に理解する 西南戦争

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朝鮮派遣を反対された西郷隆盛は下野して鹿児島に私学校を作ります。西洋の兵学を教える学校だったのですが、やがて巨大な軍隊組織となります。廃藩置県、四民平等で不満を持ったのは特権階級であった武士です。追い打ちをかけるように明治9年には廃刀令と武士に給料を払わないという法律が決定し武士の特権がすべて奪われたのですから、当然のように内乱が起きます。明治10年の武士による最大の武力「内乱」が西南の役、西南戦争です。薩摩藩、私学校の志士と大日本帝国軍との戦争、戊辰戦争までとは異なり「内乱」という言葉が使われています。明治維新前の内乱は藩内部でのいざこざですが、明治維新後は日本国内の戦争が内乱と呼ばれます。明治維新の最大の英雄である西郷隆盛は一反乱軍のメンバーになってしまったのです。

 

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反乱軍が目指すは東京であり西郷隆盛の敵は同僚だった大久保利通でしょう。不満を持つ士族は各地にいたため移動につれて賛同した士族が増えていきます。しかし既に政府軍は巨大で、山縣有朋を大将にした数万人の軍隊であり、海軍を持っており一地方の反乱軍に到底勝てるはずのない戦いでした。西南の役で政府には勝ち目がないと国民誰もが理解したはずです。ここで明治維新は完了したと言えるのではないでしょうか。

 

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西郷隆盛は人に好かれるカリスマ性を持っていました。その西郷と戦った大久保利通は嫌われますが、彼は西郷が嫌いだったわけではなく単なる真面目で冷徹な政治家でした。日本の理想を追い続けただけです。しかし「西郷を殺した」という印象は強かったのでしょう、西南の役の翌年に大久保利通は暗殺されてしまいます。つまり西南の役で薩摩の英雄たちは壊滅してしまったのです。最初の総理大臣が選ばれるとき長州閥と公家の争いでした。薩摩閥は大きく力を落としていたのでしょう。

 

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さあ、最後に明治維新に区切りをつけておきましょう。

 

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