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2015年5月24日 (日)

日本の歴史を少し正確に理解する 自由民権運動

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日本には早くから民主主義が芽生えたのだと誇らしく感じる明治時代の「自由民権運動」ですが誤解のようで、彼らが目指した自由民権はヨーロッパの民主主義や現代の民主主義とは大きく異なるようです。明治時代の自由民権運動は薩長政治からの脱却が主目的で、すべての藩出身者(民)が平等の法律=憲法で議会において議論し、言論の自由や集会の自由を保障しようというものだったようです。発端は土佐藩の板垣退助が征韓論で負けて下野すると、明治政府の薩長支配が強まりました。土佐藩と言えば坂本龍馬に後藤象二郎、船中八策で議会と憲法の設立を提案した藩です。板垣退助は船中八策に立ち返り立志社を設立して自由民権運動をはじめますが、西南戦争に乗じて立志社が挙兵しようとしたので幹部が逮捕されてしまいます(立志社の獄)。

 

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つまり自由民権運動が起こったころは、議会はなく、憲法はなく、言論は弾圧されており、選挙もなく薩長閥が天皇家組織である太政大臣と共に日本を支配していました。徳川幕府より強い中央集権型の支配でした。行政を掌握していた薩長閥がすべてを決めていたのです。西南戦争の後でも自由民権運動は継続し自由党(板垣退助)と立憲改進党(肥前藩 大隈重信)ができます。彼らはイギリス的な民主主義を希望しましたが薩長閥に敗退し下野します。明治の自由民権運動は失敗に終わったのです。薩長政府はビスマルク憲法、いわゆる帝国主義を基軸にした大日本帝国憲法を制定するのです。

 

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伊藤博文総理大臣の下1890年に国民が有権者ではない総選挙が行われ、帝国議会ができますが予想通りの薩長だらけ。それでも日本には憲法ができて議会が成立したため政治議論は沈静化します。言論弾圧を持つ強力な帝国主義の国が作られてしまい、そのボスは伊藤博文でした。繰り返しますがこの時の自由民権は平和主義ではありませんし、現代のような平等も謳っていません。薩長政治よりは特権階級の範囲を広げますが、尊王思想の下で国を強くしていくという方針は変わらないのです。当時はイギリスもビスマルクも軍国主義でしたから板垣退助が選ばれていたとしても大日本帝国に大きな差はなかったでしょう。

 

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結局、この時の自由民権運動は征韓論の延長であり、天皇家を廃した民主主義など全く考えていなかったのです。ちなみに今の自民党も尊王思想に見えますが如何。

 

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