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2015年5月12日 (火)

日本の歴史を少し正確に理解する 江戸城無血開城

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個人的な反省です。明治維新では血が流れず、世界でも珍しい美しい革命だと誤解していました。アフリカのジャスミン革命に似ていると感じていたのです。その実は海外との戦争を含め、安政の大獄、長州征伐、禁門の変、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争と膨大な死者を出した革命でした。西南戦争まで含めれば更に死者数は増えてしまいます。血が流れなかったと誤解してしまった理由は大政奉還と江戸城無血開城にあります。江戸城開城でも城外で戦闘があって死者が多数出ており、「江戸城が燃えずに開城した」というだけなのです。

 

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西郷隆盛は戦争の中心にいますが、一方で戦争を避ける努力をした人だと感じています。江戸城の無血開城は西郷隆盛と勝海舟の会談で決まっています。徳川家はどこに行った?徳川家は最初から戦争に乗り気ではなく新政府での権力獲得を目指していました。戦争の主力は会津藩を中心とする強硬派です。大阪で庄内藩などが暴走し薩摩藩や土佐藩の邸宅を焼打ち、これをきっかけに京都の鳥羽での戦闘、鳥羽伏見の戦いが始まります。徳川家は錦の御旗に攻撃をすれば朝敵になってしまい、今後の政治主導権を失いますから江戸に敗走します。「江戸を焦土にして迎え討つ」というのは勝海舟の方針で、彼は強硬派でした。

 

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西郷隆盛と勝海舟の会談は薩摩藩の官邸で行われます。徳川将軍は水戸藩に隠居し、江戸城を政府に明け渡すという「依頼」でした。一橋家の将軍は水戸出身なので藩主に戻れという条件であり、その代わりに「江戸を戦場にしない」という案でした。戦争を辞めるという休戦条約ではありません。江戸は日本最大の人口を抱える巨大都市であり、ここで戦火を交えれば膨大な死者を出すと同時に国力が低下し、外国勢に対抗できなくなります。

 

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水戸藩主になり下がった徳川家はこの時点で将軍職を失います。平成の現代でも徳川家は続いていますが歴史の舞台からは降ろされる事になります。ここからは薩長土肥と会津藩や庄内藩との戦争になるのです。

 

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