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2015年5月 1日 (金)

日本の歴史を少し正確に理解する 馬関戦争

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1864年、私が生まれる100年前、長州の「尊王攘夷」は吉田松陰が処刑されてから過激化します。その一つが馬関戦争、もう一つが後日取り上げる蛤御門の変です。馬関戦争は無謀とまでは言いませんが過激です。鎖国が終わり、日本経済は為替レートの不平等で大混乱に陥っていました。庶民は鎖国時代に戻したいと願いました。しかし長州の攘夷は過激で、下関沖を通過する外国船を予告なく砲撃しました。当然外国戦艦からの報復が行われ下関の砲台は壊されますが、すぐに新たな砲台を作り砲撃を再開します。

 

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リーダーは「生麦で薩摩に出遅れた」と叫んだ驚きの高杉晋作と奇兵隊です。奇兵隊には吉田松陰の設計が色濃く残っています。西洋的な軍隊と言える奇兵隊が西洋と戦うのです。奇兵隊の構成員は武士ではなく庶民、志願兵でした。高杉晋作の活躍には長州征伐で触れます。奇兵隊は庶民が駆り立てられてできた徴兵軍隊ではなく、私塾などで学び経済的に苦しむ庶民が志願してできた部隊であり、協力して攘夷を目指したのです。長州は他の藩にも「攘夷」戦争を呼びかけましたが薩摩は既にイギリスと戦争になっており、他の藩は能力不足と予想しますが追随しませんでした。長州は孤立したのです。

 

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最後にはアメリカ、イギリス、フランス、オランダの連合軍17隻に長州の砲台は壊滅させられます。世界の4つの大国を敵に回す一地方国家ってすごい話ですね、連合軍にも多数の死者が出たようです。しかしさすがに長州藩は「海外の大国にはかなわない」と認識し攘夷を辞めるきっかけとなりました。この戦争で長州の一部が植民地化されることになりそうだったのですが、高杉晋作が最後まで断り免れたという逸話があります。日本の植民地化を防いだのは高杉晋作の交渉力だったのかもしれません。長州は大村益次郎、力士隊の伊藤博文、京都御所を取りまとめる久坂玄瑞など多くの軍人を排出するのですが、その中でも高杉晋作は突出していました。結核が原因で若くして亡くなっており残念です。

 

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攘夷をあきらめた長州は尊王思想を強くします。舞台は京都に移ります。

 

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