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2015年5月18日 (月)

日本の歴史を少し正確に理解する 征韓論

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征韓論には発言を注意しなければいけません。個人的には明治政府の思想や行動は間違えていたと断言しておきます。

 

吉田松陰は明治維新の指導者ですが常に正しい事を言っているわけではありません。尊王思想は疑似的な民主主義とは言え、天皇主権を説きました。現代の民主主義と比較する事が正しい歴史解釈ではありませんが、明治の「自由民権運動」と現在の自由民主主義は違います。松陰が起点となった長州の攘夷論は海外四国との戦争で長州と日本を危機的な状況におとしいれました。また松陰の倒幕論は不穏であり、暗殺を計画していました。「個人的な意見」と強調しておきまして、吉田松陰のもう一つの間違いは古事記と日本書紀から「韓国は古来、日本の領土である」と解釈した事です。だからと言って征韓論を吉田松陰が唱えたわけではありません。吉田松陰に限らず日本国内の世間一般に、韓国は日本の一部との「解釈」が広がっていたようです。古事記も日本書紀も天皇家の教訓を示すものであり、最初から歴史書という要素を持って書かれたわけでもなければ、外交関係を記述した文章でもありません。たとえ古事記や日本書紀にそのような記述があったとしても、理由にはならないのです。しかし尊王論は日本書紀までを神格化してしまっていたのでしょう。

 

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当時の「韓国」は日本が使っていた呼称であり、朝鮮半島の人たちは「朝鮮(李氏朝鮮)」と自称していました。現在の大韓民国は第二次世界大戦以降に大韓帝国を引き継いだと考えられる国の名称です。当時、韓国という呼び名は清や日本などが使っていました。清は李氏朝鮮(朝鮮)を通称とし地域名として韓国と呼んでいたようです。ただ決して蔑称だとは考えていません。

 

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李氏朝鮮も鎖国攘夷を行っていました。明治になり開国を達成した日本は朝鮮との国交を望みます。ただ拒否され、釜山では日本ボイコット運動が起きました。ここで「征韓論」が起こります。戊辰戦争の英雄、板垣退助が「征韓論」を唱え韓国への派兵を主張しますが、西郷隆盛が反対します。ここがややこしいところですが、西南戦争がある関係で西郷隆盛の征韓論と結びついて覚えてしまうのですが、西郷隆盛は征韓論に賛成したものの戦争を望まなかったようなのです。これは長州征伐、大政奉還、江戸城無血開城などと共通する彼の方針です。ただし西郷隆盛も征韓論であることに間違いはなく、戦争はせずに論破しようとしたのです。その為に朝鮮に渡航しようとしたのに「暗殺される」と心配した大久保に反対されます。結局明治天皇の決断で西郷を韓国に行かさない(征韓論反対)という政府判断をしたところ、怒った西郷隆盛や板垣退助が辞職して下野します。「明治六年の政変」です。

 

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板垣退助の辞職は自由民権運動につながりますが、それよりも大変だったのは西郷隆盛でした。西南の役に続きます。

 

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