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2015年5月11日 (月)

日本の歴史を少し正確に理解する 大政奉還

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大政奉還は徳川が降伏したように感じてしまいます。しかし徳川家は主権を渡したわけではないのです。そもそも徳川幕府は主権を持っていません。徳川幕府は天皇家の委任を受けてすべての藩のリーダーとなっていますが、親藩大名はともかく、外様大名はもともと本心から徳川幕府に従っていません。長州や薩摩は代表例としても、長州征伐に出向かなかった藩が多かったのは、中四国、九州に置いて幕府の管理が届いていなかった事を意味しています。関ヶ原の戦いの後に軍事的な征伐を行っていないので、冷戦状態が300年も続いていたことになります。

 

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大政奉還は徳川家のリーダーとしての委任を解き、徳川家を含んだ議会政治で国を動かそうというものです。10月の事でした。もちろん徳川家は初代総理大臣になるつもりだったでしょう。それにしても総理大臣には任期があり、世襲ではありません。土佐藩が薩摩藩と共に徳川家に対して大政奉還を持ちかけたとき、当然徳川は拒否するだろうと考えていました。事実、大政奉還の前に朝廷による倒幕の命令をもらっていました。大政奉還を断ってくれば軍事的に江戸に攻め入る予定だったようです。ところがあっさり徳川家は大政奉還をしてしまいます。軍隊は困ったでしょうね、既に臨戦態勢でしたからね。しかも将軍家は征夷大将軍の職を返さないというおまけつき。

 

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大政奉還後の世の中は江戸幕府時代のままでした。表向きは大政奉還しているので幕府を攻める事もできません。そこで薩摩藩が中心となり12月に起こしたクーデターが「王政復古の大号令」です。将軍職の強制解任、幕府の廃止、摂政関白の廃止が中心です。ここで、摂政関白は親幕府派でしたので廃止したのです。クーデターの中心人物は岩倉具視で京都御所を5つの藩、薩摩、土佐などで封鎖します。会津藩からの襲撃を阻止する必要があったためです。

 

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この時点でも徳川将軍は次期政権の中心となるはずでした。江戸城も徳川家が持っています。しかし幕府とは無関係に会津藩と桑名藩が「幕府勢力として」宣戦を布告します。鳥羽伏見の戦いが起こり、徳川幕府は導かれるように滅亡の道を歩むのです。徳川幕府滅亡、江戸城無血開城へとすすみます。

 

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