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2015年5月 4日 (月)

日本の歴史を少し正確に理解する 第一次長州征伐

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1864年に禁門の変の制裁として「朝命」の下、徳川軍15万人が長州に向かいました。これが第一次長州征伐です。

 

馬関戦争も禁門の変も1864年なので長州にとって波乱の一年です。いくら長州が強いと言っても15万の軍勢には勝てませんし、馬関戦争で武器が破壊されており戦えません。そこで戦争になる前に降伏の形をとります。幕府側として交渉の窓口に立ったのが薩摩藩の西郷隆盛でした。一方、高杉晋作は降伏に反対し過激行動を辞めず、奇兵隊は奪われたものの伊藤博文や力士隊と共に長州藩内で内戦を起こし敗退。内線終了の時点では1865年になっています。幕府軍に勝利した第二次長州征伐が起こる1866年までに1年しかありません。

 

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時代はまだ江戸幕府、長州は降伏したとはいえ無罪ではなく7名が切腹もしくは斬首されます。高杉晋作は逃亡、九州方面に渡ります。しかしただ逃げたのではなく、高杉晋作の活躍が1年後に長州が幕府に勝利する準備を整える事となります。高杉はまず長崎でグラバーたちと話をします。グラバーは武器商人です。先日まで攘夷を唱え馬関戦争で外国の船舶に大砲を討ちまくった高杉が潔いマインドチェンジです。その後、薩摩と接触し薩長同盟の下地を作ります。この接触が無ければ坂本龍馬がいくら活躍しても薩長同盟は無かったでしょう。長州は禁門の変以来、薩摩を会津同様に敵対視してきました。しかし高杉晋作は薩摩の助けなしに幕府には勝てないとビジネスライクに割り切っていたのです。大河ドラマの「花燃ゆ」でも吉田松陰を軽視していた高杉晋作が心変わりするシーンを描いていました。わだかまりのある心変わりという雰囲気で描かれていましたが、彼の性格からもっと潔い心変わりだったのではないかと感じています。

 

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一方、なぜイギリスは先日まで敵国だった長州に武器を売ったのか。幕府にフランスがついているからでしょう。このままではフランスが日本の利権を独占してしまいます。イギリスは幕府に対抗する勢力を育てる必要がありました。その為、大量の武器を西日本で販売したのです。その一つの窓口が「海援隊」でした。高杉晋作が長崎で武器を調達する時、海援隊との接触があったと想像します。武器を調達するため、商社である海援隊とは良い関係を維持するべきと感じていたでしょう。薩長同盟に強い抵抗感があったのは薩摩ですが長州にもあったはず、ただ高杉晋作は気持ちをきりかえていた、そして長州藩の仲間を説き伏せていくのです。

 

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薩長同盟の大きな効果は薩摩から資金面(もしくは信頼面)での援助が得られるようになり、間に海援隊が入る事で長州の武器購入を助け、第二次長州征伐への備えが加速したことにあります。

 

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