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2015年4月 5日 (日)

日本の歴史を少し正しく理解する キリスト教の植民地政策

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日本の鎖国は江戸時代の話、それまではヨーロッパの情報はしっかりと日本に届いていました。スペインとポルトガルによる植民地政策は激烈でした。有名なのは1510年代、スペインによる南アメリカでの大殺戮です。この大殺戮についてキリスト教との関係をあまり詳しく書くと批判を浴びる事でしょう。ただ西洋人が十字架を背負って植民地を目指したのは確かであり、背景には14世紀から19世紀まで続いたヨーロッパの「小氷河期」があります。ヨーロッパでは氷河が拡大し、夏が無くなり、飢饉が発生します。「食糧不足」は熾烈な状況であり、食料もしくは防腐剤が必要になってきました。「香辛料」を求めて旅に出たという表現がよく使われます。スエズ運河が無いので、さすがに食料を他の大陸から持ってくる輸送力はなかったでしょうからね。

 

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最初はアフリカでした。それからアメリカです。キリスト教社会は「地球は丸い」という事に気が付きます。キリスト教は1529年に歴史上最悪ともいえるサラゴサ条約を制定します。これは世界をポルトガルとスペインで二分し、植民地化を許可、正当化する条約です。日本はポルトガル領域です。ポルトガルはアジアへ、そして日本へ向かいます。1543年、ポルトガルが日本の種子島に到着、そこで宣教師を派遣します。1549年に日本に来たフランシスコ・ザビエルです。1557年ポルトガルがマカオを居留地とし、1571年には長崎に商館を建てます。ここに二つの重要なポイントがあります。マカオを居留地にしたのは「明」がポルトガルに抵抗できなかったことを意味する事、そしてポルトガルが日本の近くに重要な軍事拠点を築いたことです。織田信長と行動を共にした「ルイス・フロイス」は日本占領の先兵と誰もが理解できたでしょう。

 

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先にポルトガルの恐怖に気が付いたのは織田信長です。1587年に「伴天連追放令」を出してイエズス会を追放しようとします。しかしポルトガルの勢力は衰えず、このまま日本が植民地になってもおかしくありませんでした。「個人的な意見」と強調しますが、豊臣秀吉の朝鮮出兵はいわゆる「大東亜共栄圏」と同じ考え方だったのではないでしょうか。日本に来る前に中国でポルトガルをたたく、マカオをたたく、それほどの危機感を持っていたのでしょう。しかし秀吉は明の力を過小評価しており、結局、朝鮮半島の人たちに迷惑をかけただけで終わるのです。

 

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なぜポルトガルは日本を植民地化しなかったのでしょうか。1580年、ポルトガルはスペインに敗北します。更に1602年にはオランダとの戦争が起こりそれから60年も続きます。ポルトガルのマカオ支社は後ろ盾を失っており、オランダ時代が来るのです。オランダのアジア占領は江戸時代の話であり、もう少し先になります。なおイエズス会は日本で猛威を振るい70万人の信者を得たと言われています。キリスト教徒が増えすぎて、侵略戦争を起こしにくかったのかもしれません。ただ忘れてはいけないのはヨーロッパに小氷河期が来ていた事です。今のヨーロッパは温暖で氷河もずいぶん減りました。地球温暖化と言いますが、実は寒冷化した時の方が世界の秩序は乱れます。貿易が発達した今、食糧難はどうにか乗り切れるかもしれませんが、かつてのように氷河がヨーロッパを覆って住めなくなれば、やはり民族移動を伴う戦争は起こってしまうのかもしれません。今、北極振動が拡大しています。もしかすると地球は再び寒冷化に向かっているのかもしれません。寒冷化の要因は太陽活動と火山活動であり、どちらも予測は不可能です。

 

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