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2015年4月 7日 (火)

日本の歴史を少し正確に理解する 文禄の役

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まずは史実を整理します。

 

「唐入り」とよばれた秀吉の朝鮮半島侵出の目的は彼の支配範囲を中国に広げ、明を支配する事でした。当時の「李氏朝鮮」は統率力が弱く、日本で言えば後期の室町幕府状態に近い感覚と想像します。秀吉は李氏朝鮮を完全になめており「明に進出するので朝鮮半島を通過させるよう」要求します。しかし李氏朝鮮は秀吉の通行を拒絶します。そこで秀吉が先に李氏朝鮮に戦を挑み朝鮮半島に進出、1592年の文禄の役が始まるのです。当時2000万人ほどの人口しかいなかった日本から朝鮮半島に進出したのはなんと15万人以上、16世紀では世界最大クラスの侵略戦争だそうです。当時の日本の武士人口は200万人と言われています。男性人口の約20%ですからね、多すぎます。

 

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それでは無謀な作戦だったのでしょうか。以前「兵糧」の重要性を考えました。侵略しても生産力を維持するために農地は荒らさず、兵糧ルートを確保して前に進まなければいけません。しかし朝鮮半島に15万人も渡した上、日本海があるので兵糧ルートに限界があります。秀吉は中国を目指していたので、朝鮮半島は略奪で乗り切ろうとしていたようですが、明らかに無謀です。現地の生産力がわからない、日本とは食文化が違う、しかも李氏朝鮮は統制が崩れ、農業生産力が落ちていたと予想出来ます。「腹が減っては、戦はできない」鉄則ですね。

 

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それでも秀吉の軍隊は平壌あたりまで攻め入ったようです。ここで明の部隊が援軍に駆けつけ(本来は日本と明の戦争ですしね)秀吉は敗北まではしないもの、「明との」休戦協定で撤退します。これが文禄の役です。もともと秀吉は戦争上手と言えない部分があり、賤ヶ岳でも前田の寝返りが無ければ危なかった程度の実力です。個人的にはやはり無謀な作戦だったと感じています。

 

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