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2015年4月16日 (木)

日本の歴史を少し正確に理解する 江戸城

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時代を少し巻き戻します。15世紀、江戸氏の支配地域を占拠して城を作ったのは太田道灌です。武将としては有名と言えない太田道灌ですが「江戸城を作った人」として有名です。道灌の城を奪ったのは上杉家で、その後、豊臣家に奪われ、最後に徳川家が「引っ越し」してきます。徳川家康が江戸城に入ったのは159081日でした。江戸時代には81日を正月に次ぐほどの祝日にしていたようです。徳川家康が江戸城に入った時、まだ小さな地方の城でした。太田道灌が巨大建造物を作ったという事ではありません。

 

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江戸はその後、徳川政治の中心となり、明治時代には天皇家までもが移動してきます。ただ天皇家の誇りか、明治元年に江戸を改め「東京」(当時は東京府と東京市)に改称してしまいました。天皇家が住むところは「京」でなければいけないようです。それでも皇居は江戸城内(西の丸)にあり、千代田区には国会議事堂があるのですから、今でも日本政治の中心です。江戸城は徳川家により徐々に拡大していったようです。

 

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日本で現役の城は江戸城位ではないでしょうか。もちろん皇居がかつての天守閣を利用しているわけではなく、単に江戸城の敷地を利用しているだけです。皇居は東京の真ん中にあって巨大、地下鉄も高速道路も迂回しています。天守台、本丸跡は江戸城の北西にあり土台の位置だけが残っています。江戸は平安京のように区画整備されず、江戸城を中心としてパリと同じく「の」の字に拡大しています。徳川家が江戸に入った時、都市計画を改めるような余裕や権力が無かった、町は住民の意志で広がって行ったのでしょう。今でも山手線が東京を一周し、駅ごとに都市が発展しています。

 

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時代は江戸時代に近づいてきました。

 

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