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2015年4月30日 (木)

日本の歴史を少し正確に理解する 生麦事件と薩英戦争

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修好通商条約の大失敗は治外法権です。大名行列を横切ったイギリス人を「切り捨て御免」、大名行列を横切るなんて日本人にとって非常識にも程がありますし、切り捨ては合法(御免)でした。これが1862年の生麦事件です。薩摩藩士が切り捨てたのは大名を護衛する武士の条件反射と言え、日本の「当時の」法律から言えば横切ったイギリス人が悪いのです。しかし現代の民主主義に育った治安が良い国に住む日本人が「それは切り捨てた薩摩藩士が悪いだろう」と感じるように、治外法権のためイギリスの法律が優先され、イギリスの法律から判断して「薩摩藩の大罪」となるのです。当然、イギリスとの政治問題になります。

 

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切られたイギリス人は日本の法律を知っていたようです。外国人に大名行列は日本の名物で、見学は珍しくなかったそうです。当然、大名行列に出くわしたときの礼を知っていたし、多くの外国人は大名行例に出くわしたときに切り捨てられることなどありませんでした。しかも切られたイギリス人は事前に大名行列がある事を教えられおり、騎馬から降りる事もなく見学するうえ行列を横切るなど、治外法権を傘にきた挑発的な無礼を意図的に行ったようなのです。しかしさすがに切られるとは思っていなかったでしょうね。日本の常識を説明できるほど英語力を持った通訳が少なかった時代の悲劇かもしれません。イギリスはこの事件で幕府と薩摩藩から莫大な補償金を得ています。つまり事実上、政治問題は金銭解決していたのです。それかかわらずイギリスは薩摩に進撃、戦闘状態になったのです。

 

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切られたイギリス軍に非があったにもかかわらず賠償金をもらったのに軍隊は鹿児島に出向くのです。薩摩の植民地化を考えていたのではないでしょうか。当時最強と言われたイギリスの艦隊が鹿児島藩で大砲を討ちまくり、鹿児島は焦土と化します。しかし日本は完敗したわけではなく、陸からの砲撃によりイギリス艦隊に大きな被害を与え、1隻を撃沈し、イギリス側にも多くの死者が出ました。植民地候補の弱小国であると考えていた日本のたった一つの藩に無敵と言われたイギリス海軍が勝てずに逃げた、世界中の新聞が書き立てるほどに衝撃が走ったようです。その上、日本の法律を無視し、しかも賠償金をもらっていたのに民家に砲撃したイギリスは国際社会から非難を受けたようです。一方で焦土と化した薩摩軍も攘夷は無理だと理解しました。

 

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軍艦が撃沈され軍事支配が難しいと理解したイギリスやフランスは日本を植民地するのではなく商業的なパートナー、同盟の道へと舵を切ります。日本に大量の近代兵器が流れ込み始め、幕府と藩の軍事的均衡が崩れ始めます。明治維新はイギリスとフランスの代理戦争的な要素も含んでいるのです。さて、もう一つ重要な長州と海外勢との戦いを見ておきましょう。馬関戦争が無ければ長州藩の倒幕行動はなかったのですから。

 

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