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2015年4月 9日 (木)

日本の歴史を少し正確に理解する 朝鮮出兵 驚きの数

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16世紀世界最大の戦争である朝鮮出兵、何がすごいでしょうか。

 

まず15万人を朝鮮半島に移動させるのですから、1000人乗りのフェリーでも150往復です。当時は帆船ですから船に100人程度しか乗れなかったとして何艘の船を用意したのでしょう。出兵を決めてから造船したとすれば、その製造能力は驚きですね。秀吉の政治で工業力、商業力が大きく発達していたと感じられます。100人乗りであれば1500往復、少なくとも100隻程度15往復が妥当だとしても、当時の日本に造船所は何か所あったのでしょうか。もしくは既にその程度の戦艦を日本(可能性として毛利)が常備していたのかもしれません。船は九州から朝鮮に人物を渡すだけではなく、全国各地から九州に人と兵糧を集めなければいけません。電車の無い時代ですし江戸時代に発達した街道や宿場も戦国時代にはどれほど整備されていたか。船での移動が中心だったとすればプラスで100隻程度、日本は海洋大国だったのでしょうね。瀬戸内海を眺めれば大量の船舶が行き来していたのではないでしょうか。

 

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兵士の数200万人、男性人口の約20%が軍人だったことにも驚きます。当時のヨーロッパの小さな国の総人口程度に相当しますから、戦国時代の日本にいかに戦争が多かったのかわかります。しかも戦死した男性を差し引いた後の人数ですから+、豊臣家の時代に200万人も軍人が残っていたというのは脅威です。刀狩を行った後の人数ですからね。刀は人を切ると刃が欠けるので一人で何本か必要です。火縄銃もかなり出回っていたそうですし弾丸も火薬も必要です。武器の生産能力もすごかったのでしょうね。

 

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テレビとインターネットの時代に住む私たちにとって、不思議は情報伝達です。大阪と朝鮮半島全域で戦う軍隊との通信はさすがにリアルタイム性に欠けます。飛脚というシステムがありましたし、船での情報伝達もあったでしょう。最も早い伝達方法は光学的な手法で、戦国時代の地方戦では狼煙が使われ、広範囲に素早い伝達を行ったそうで、一つの藩の端から端程度であれば1日で伝達できたそうです。ただし情報密度は限定され、雨や夜には使えないという弱点もありました。またさすがに朝鮮半島とのやり取りに狼煙は利用できませんね。

 

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豊臣時代の最後は不思議がいっぱいです。

 

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