« 日本の歴史を少し正確に理解する 関ヶ原へ | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 大坂の役 »

2015年4月19日 (日)

日本の歴史を少し正確に理解する 征夷大将軍

Osk0194

徳川家康はわずか2年で征夷大将軍を辞めてしまいますが、その後も10年ほど大御所として幕府を支配します。征夷大将軍の職は源氏姓しか就くことができません。藤原姓を名乗っていた徳川家康は自分の家系を捻じ曲げ、無理やり源氏姓になりました。一方で関白職は貴族に返しています。関白になれば京都に住まなければいけませんからね。しかしなぜわずか2年で将軍職を辞め息子の秀忠に渡してしまったのでしょうか。彼が征夷大将軍になったのは62歳、1603年でした。64歳の時には秀忠に将軍職を譲っています。ただし実権はまだ徳川家康にあったと言っていいでしょうし、秀忠が家康に勝る器だったとも思えません。

 

Osk0191

当時の62歳は高齢です。いつ亡くなるかわからない、そこで生きているうちに後継者を決めて地盤を固める、これは秀吉の死に様を見て家康が考えた事ではないでしょうか。先日某家具メーカーのお家騒動が話題になりました。独裁者が生きているうちに、たとえ自分の子孫と言っても権限を譲るには覚悟が必要です。家康も社長を辞めて会長になったような存在ですが、江戸幕府の「取締役」であり秀忠という社長職に実権を与えていませんので覚悟はしていません。三代将軍の家光を比べたとき、秀忠は「何もしていない」印象があります。そんな人物を2代目将軍に選んだ、最初からお飾りにしてもクーデターを起こさない能力の低い三男坊を選んで将軍にしたのではないでしょうか。

 

Osk0192

静岡でにらみを利かせる徳川家康にとって、目の上のタンコブが残っているのです。豊臣秀頼です。

 

Osk0193

« 日本の歴史を少し正確に理解する 関ヶ原へ | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 大坂の役 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本の歴史を少し正確に理解する 征夷大将軍:

« 日本の歴史を少し正確に理解する 関ヶ原へ | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 大坂の役 »

フォト
無料ブログはココログ