« 日本の歴史を少し正確に理解する 幕末の江戸幕府 | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 吉田松陰の松下村塾 »

2015年4月27日 (月)

日本の歴史を少し正確に理解する 吉田松陰

Osk0255

 

私が高校生の時の話。吉田松陰は明治維新の「指導者」という印象があるため、高齢だと勘違いしていました。60代位か若くても40代のイメージを持っていたのですが、なんと29歳で死罪となっています。思想家として若すぎるかと言えばそんなことはありません。人間が明確な思想を持つのは15歳位からだそうで、これから10年くらいが人生で一番頭の良い時期と私の中学時代の先生が言っていました(確証無し)。明治維新で活躍した若者は20代が多く、カール・マルクスも20代の中盤で共産主義に目覚めます。20代の天才が提唱する思想は人を動かす力があると感じています。その点で若い人のいない大阪維新はだめです(笑)そして現代の日本の政治家は平均年齢が高すぎます。平均年齢で30歳程度は若返らないと国は変わりません。

 

Osk0257

松陰が衝撃を受けたのは大国「清」が阿片戦争にあっさり負けたことでした。長州藩で軍隊を指揮していた彼は「日本の武術ではだめだ、西洋兵学を学ばなければいけない」と方針転換、強い気持ちから20歳にして九州に出向き勉強を重ね、更に江戸に行って佐久間象山に教えを乞います。その後松陰は東北旅行に行きたかったのですが手形が得られなかったので脱藩。そしてロシア軍艦に乗り込もうとしたりアメリカの黒船に密航したりします。これらの行動で感じる彼の性格は破天荒で過激な若者ですね。その後自首して逮捕され幽閉、1855年に出獄します。その後に松下村塾で多くの若者を指導するのですがですが、こちらに関しては次回触れます。ただ彼の行動を見ていると最初は国防強化が主目的だったように感じるのですが、どこからか攘夷思想が強くなります。尊王思想は最初からあったと考えますが、攘夷の思想がどこで強くなったのかわかりません。彼の強い攘夷の思想は安政の大獄や馬関戦争につながっていくのです。

 

Osk0253

1858年に、松下村塾を初めてわずか1年後に幕府が天皇家の反対を退け日米修好通商条約を締結したため強い「尊王思想」から激怒、一人で倒幕を宣言し幕僚の暗殺を計画します。個人で倒幕、暗殺など過激にも程度があり、さすがに塾生に止められてしまいます。その後も討幕を明言し続けたため逮捕され「安政の大獄」で死罪になります。安政の大獄をきっかけに松陰の思想を受け継いだ長州が倒幕の主役に躍り出るのですが、正直なところ吉田松陰の行動は過激すぎて自殺行為とも見えます。主義を重視しすぎて味方を作らず暴走しすぎたような気がします。塾長という役割から落ち着いた人という印象を持っていましたが全く違います。今の大河ドラマで描かれている松陰はやわらかい雰囲気ですが、実際にはもっと過激な思想家だったのでしょう。一方で長州藩主や実力者を味方につけ乗り切る能力が無かったようですね。長州が松陰死亡後、尊王攘夷のため強い行動を起こしていますから彼は生き残り、長州藩を指揮する選択肢を模索すべきだったと考えます。

 

Osk0259

 

早すぎた孤高の天才と言えるのかもしれません。

 

Osk0256_2

« 日本の歴史を少し正確に理解する 幕末の江戸幕府 | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 吉田松陰の松下村塾 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本の歴史を少し正確に理解する 吉田松陰:

« 日本の歴史を少し正確に理解する 幕末の江戸幕府 | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 吉田松陰の松下村塾 »

フォト
無料ブログはココログ