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2015年4月 2日 (木)

日本の歴史を少し正しく理解する 千利休

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日本文化には不思議があります。その一つが「茶道」です。

 

茶道とは「お茶をたてて飲む」儀式です。結婚式など違う祭典と結びつくのではなく、独立の芸道として成立しているのです。海外にも高貴なお茶を飲む習慣はありますが、儀式として成立している「茶道」は世界的に見ても不思議な芸道ではないでしょうか。千利休は茶道の開発者ではありませんが、茶道を武士階層に広めたことに大きな功績があります。茶道はなぜ武士階層に広まったのでしょう。

 

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千利休は商人、堺の出身です。出身地が私の家から近い事もあって、今でもよく聞く名前であり、千利休のイベントは少なくありません。彼は堺を管理した織田信長に発掘されます。織田信長は優秀な人を見つける天才ですね。茶道の特徴は高額な茶器、一国に相当する価値の茶碗もあったのだとか。また狭い密室で「冷静に」執り行われるため、密談には最適でした。現代の政治では料亭が使われますが、より機密性が高かったはずです。その密談の中で千利休がどれほどの役割を果たしていたのかわかりませんが、残っている逸話からすれば彼は180cmクラスの当時としては巨漢であり、大胆な演出と大名クラスにも怖気づかない度胸の持ち主だったようです。

 

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そんな千利休が70歳にもなって豊臣秀吉の逆鱗に触れ切腹を申し付けられたのには「密室会議」に何らかの原因があったと考えます。大徳寺山門の通説は信じられませんが、豊臣秀吉が晩年、おかしな行動に出ている事も確かです。何のドラマか忘れましたが朝鮮出兵に反対した事が切腹の原因だったように描いていました。原因はわかりませんが、文化人であった千利休が切腹を言い渡されるのですから、彼は幕僚クラスの重要な軍師だったのでしょう。切腹には政治的な意見の相違や、重要な軍事情報を他に大名に漏えいした等の理由があったはずです。死罪の後の首のさらされ方も残酷で、よほど豪胆な行動だったと想像できます。

 

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千利休の切腹は1591年、この頃から「現在の尺度」で考えたとき豊臣秀吉の行動は奇異になります。本当に気が狂ったのか、それとも正常で論理的な判断だったのか、1592年の朝鮮出兵を考えてみる前にもう少し1591年ごろの彼の行動を整理します。

 

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