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2015年4月18日 (土)

日本の歴史を少し正確に理解する 関ヶ原へ

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徳川家康と同程度の「嫌われ者」が石田三成ですね。ただし三成は家康と違い本当に嫌われました。

 

彼は文官であり豊臣秀吉の側近でした。秀吉の代行として大名などと接見していたようです。しかし大大名とは言えず、強大な軍隊を持ちません。権力者の席は怖いもので、彼は代行者であるにもかかわらず大大名や武将と対等、もしくは大上段から指示をする、だから嫌われたのです。今の企業でも最前線で戦うエンジニアが文官上がりのマネージメントを嫌う日本文化が残っています。日本はたたき上げ、前線を好む社会であり政治家はあまり好かれません。味方であるはずの加藤清正らに襲撃を受けている事からも石田三成の「嫌われ役」は噂話ではなく事実でしょう。彼に関ヶ原で西軍を担うだけの器はありませんでした。前田利家が生きていれば、もしくは西軍の大将である毛利輝元が三成を戦場から排除できれば関ヶ原の結果は変わっていたかもしれません。

 

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関ヶ原東軍の陣容はものすごい。東軍は徳川家康、前田利長、伊達正宗、加藤清正、福島正典など戦国時代のヒーローをそろえた錚々たるメンバーです。一方で西軍も贅沢で、毛利、上杉、島津、宇喜多、石田三成などで構成されます。毛利と島津の敗戦の怒りは明治維新を引き起こすのですから時代を超えた壮大な物語です。関ヶ原では東軍が勝ち、徳川家康は将軍になります。ただし江戸時代以降も「一番大きな大名」に過ぎず、西軍を含め江戸時代には各大名が独立国家(藩)を作ってしまいます。「関所」は国と国との間に作る関門で、現在の日本やアメリカのように統一国や合衆国で県境や州境に関所はありません。「脱藩」は死刑を含む大罪でしたが、現代に日本からロシアに亡命しても死刑になる事はありません。各藩は完全に冷戦的な敵対国状態で、江戸時代には日本という国の形は崩壊します。もちろん関ヶ原よりも前、応仁の乱の頃から崩壊したのですが、関ヶ原後に「諸国の編成と力関係が確定した」と言ってよいでしょう。大名による藩の支配と鎖国の影響で人々の移動は減り日本の船舶技術は後退し、方言が発達していったと考えています。江戸時代は戦国時代のまま戦争を凍結しただけの国家だったのです。

 

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話を戻して関ヶ原ですが、あまりに有名なので深追いしません。「小早川の裏切り」が有名なイベントです。小早川軍15000人、プラスマイナスで言えば東軍が3万人も有利になったことを意味します。戦前の陣容としては西軍有利だったそうですが、西軍の懐深くにいる小早川が裏切ったことで戦況は東軍の勝利で決定的となります。この後、裏切り者の小早川がどうなったのか、2年後には21歳で亡くなり、徳川家により家をつぶされます。多くの西軍武将に恨まれていたので暗殺説がありますが、死因はわかっていません。「呪い殺された」(もしくはたたりを恐れる事により精神的に病んで自殺)という説まであります。関ヶ原の当時は19歳の若い大将、戦後は本家の毛利より大きな岡山城に入った大大名。徳川家康の甘い言葉に騙されたのでしょうね。もちろん小早川も石田三成が嫌いだったと考えられます。それでもやはり裏切りはよくない、まともな人生は歩めません。

 

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ここまでの話で石田三成が悪者に見えますが、関ヶ原の敗戦、もしくは徳川家の台頭は豊臣秀吉が原因です。子孫が少ないのに秀次の家族を惨殺。単に親族を減らしただけではなく、養子とはいえ家族を大量惨殺という残虐性で家臣の人望を失います。関ヶ原の戦いに豊臣姓の大将は一人もいないのです。石田三成が西軍の人望を支えられるはずもありません。また徳川家康の狡猾なところは関ヶ原を対豊臣家ではなく、対石田三成の図式に作った事でしょう。小早川だけではなく西軍から多くの裏切り者が出ています。石田家が大将ですから裏切りやすい、豊臣家が大将であれば難しかったでしょう。裏切り以前に前田、加藤、福島など豊臣家の側近が東軍にいる事自体、豊臣秀吉が晩年に人臣を失っていた事を如実に表しています。勝手な想像ですが、関ヶ原は徳川家康というマイナス要素と、豊臣秀吉+石田三成というマイナス要素の争いで、徳川家康のマイナス要素の方が小さかったから勝者になったマイナス同士のぶつかり合いです。もし石田三成が勝っていれば、日本の歴史史上最強の「嫌われ者」は石田三成になったかもしれませんし、たとえ西軍が勝っていたとしても豊臣政権や石田政権が江戸時代ほどに続いたとは考えづらいですね。毛利が将軍になり広島が日本の首都(西京都)になっていたかもしれません。

 

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