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2015年4月28日 (火)

日本の歴史を少し正確に理解する 吉田松陰の松下村塾

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吉田松陰が松下村塾で教えたのはわずか1年程度ですが、この1年が倒幕を達成させ、日本を救ったとも言えます。長州の藩校として明倫館がありましたが士族しか入れなかったので、入れない学生は私塾で学んでいました。しかし吉田松陰の私塾である松下村塾は学校とは程遠く、明らかに思想を教える人生設計セミナーでした。塾生は驚くべきメンバーで、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など今後の明治維新、明治時代の主軸です。彼ら生徒がすごかったのか、彼らを行動に導かせた吉田松陰がすごかったのか、それとも両方か。

 

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彼の教えの根幹である尊王論は、「世の中は天皇の物(主権)であり、その他の国民は天皇の下で平等である」という疑似平等論です。幕府による支配は天皇以外の万民が平等であるという思想に反しているという論理です。幕府、特に井伊直弼は天皇家を軽視する政治を行っていました。吉田松陰は幕府が天皇家の代弁者である、天皇家に逆らうのであれば倒すべきと考えていました。彼の教えには志という言葉、そして志士という言葉が何度も出てきます。志を立てろ、強い志を持ち世俗の意見に惑わされるなと教えています。私が好きな彼の言葉は「君子勿素餐」、いたずらに時を過ごすなという意味です。ただ私は落ち着きが無いとと言われることが多く好きな言葉であっても、参考にしてはいけないのかもしれません。この言葉を座右の銘にすればますます落ち着きがなくなりそうです。そして彼こそがこの言葉に従いすぎたのか、生き急ぎすぎました。

 

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松下村塾建屋のレプリカは山口県萩市にあり学生時代に車で見に行きました。萩は今でも利便性の悪い場所にあります。三方を山、もう一方を海に囲まれた小さな平野で、高速道路は通っておらず、細い国道と山陰本線が通っているだけです。長州藩は徳川幕府が利便性の高い瀬戸内海側や下関に藩都を作ることを許されなかったため幽閉されていたとさえいえます。幕府への反感は関ヶ原から冷める事が無く、長州藩住民の共通意識として蓄積していましたが、今にも暴発しそうな危険性を認識していた毛利長州藩は反幕活動に対して神経をとがらせていました。しかし市民の声は抑えきれなかった、松下村塾という小さなセミナーでついに爆発した「尊王」「軍事行動による攘夷」思想は、その後抑える事はできなくなります。

 

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さてわかりにくい二つの事件を自習します。安政の大獄と桜田門外の変です。

 

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