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2015年4月22日 (水)

日本の歴史を少し正確に理解する 徳川秀忠

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なぜ家康は三男の秀忠を将軍にしたのか、「家康の言いなりだったから」というのが個人的な想像です。ドラマの江ではわかりやすく描かれていましたが、秀忠は戦争に弱い、とても武将の素質があるとは思えません。「金持ちのお坊ちゃま」の風格を備えています。秀忠の後は家光ですが、家光の母は春日局、そして父親は徳川家康の可能性があると言われています。この家督争いが「江」というドラマのメインテーマでしたね。まあ正直なところ家光の本当の父親が誰かなんて春日局しかわからないし、秀忠が一応父親になっていた以上、大きな問題ではありません。

 

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軍事の才能はなかった秀忠ですが政治の才能には優れていたようです。家光の政治が目立ちますが、秀忠は戦国時代の熱を冷まし、平安な江戸時代の地盤を築きました。武家諸法度を作ったのが徳川家康だとしても、軍事的均衡を冷戦状態に落ち着かせて武家のルールを定着させたのは秀忠です。関ヶ原の熱も大坂の役の熱も冷めていませんし、北には伊達政宗が残っています。

 

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そうはいっても三男坊、なぜ将軍になれたのでしょう。長男は秀忠が生まれた年に切腹しています。次男は豊臣秀吉の養子です。そういう意味で、三男坊とはいえ順番通りと言えます。戦争が苦手という性格は政治には向いていました。自分が弱い事をしっているので、家康が亡くなった後の「戦争を避ける政治」を常に考えていたのではないでしょうか。外様大名との対話をとても重要視していたようです。

 

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徳川が天下を取ったのは家康の貢献ですが、300年も続く基盤を作った貢献は秀忠にあります。

 

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