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2015年4月 1日 (水)

日本の歴史を少し正しく理解する 関白 豊臣秀吉

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賤ヶ岳後の時代は激流です。1582年に賤ヶ岳で勝利した秀吉は、1583年に石山本願寺跡地を踏みつぶす形で大坂城を築城、1584年に徳川と戦ったときに実質的に織田家支配が消滅し、1586年、つまり賤ヶ岳からわずか4年で征夷大将軍ではなく関白となって「豊臣」秀吉を名乗ります。この間で一番のターニングポイントは織田・徳川との戦いである1584年の「小牧・長久手の戦い」です。織田信雄は羽柴秀吉に安土城を追い出され、それに怒った信雄が羽柴寄りの家臣を処刑し、それに怒った秀吉が挙兵するという報復戦ですが、信雄はまるで羽柴秀吉の掌で操られているように見えますね。

 

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織田には徳川が加担しますが、ここで池田氏が織田家を裏切ります。この裏切りが無ければ羽柴は負けていたとさえ感じられます。事実、秀吉は劣勢で最後に徳川、織田と休戦協定を結ばなければ危なかったとさえ感じます。この戦闘において徳川が羽柴の裏をかけたのは忍者の存在です。諜報活動、スパイ活動が戦争に大きな効果を見せた戦闘でした。もちろん羽柴も諜報部隊を持っていたのでしょうが、徳川側が一枚上手だったように見えます。現代の日本社会は諜報活動を軽視しがちで、特別秘密保護法に反対する人も多いのですが、諜報活動は国の命運を左右します。機密情報は国民を守るためにも秘密にすべきという事はこの小牧・長久手の戦いからわかるのです。この戦いで活躍したのは徳川家康と前田利家であり、豊臣家後の勢力が決まり始めています。ちなみに織田信雄も生き残ります。織田家は滅びたわけではなく、豊臣により復活が図られ、江戸時代を乗り切り廃藩置県まで続いているのです。スケート選手として織田家の系譜が有名になりましたね。

 

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さて豊臣秀吉は「関白」を名乗り始めます。関白とは本来、天皇が幼少の時に政治を代行する貴族の役職です。「摂関家」から必ず任命される役柄であり、秀吉は近衛家(本姓は藤原家)の一員として関白を宣言されます。征夷大将軍と比べれば明らかに高い位の貴族であり、貴族社会としては屈辱的だった事でしょう。なにせ豊臣秀吉は農家の出身ですからね。その後、太政大臣にも任命されます。一方で藤原家になった以上、源氏しか任命されない征夷大将軍にはなれません。

 

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ところで1586年には中部地方で大地震が発生しています。震源地はフォッサマグナの上、内陸だったのですが琵琶湖を含め津波を伴っており、その巨大さがわかります。余震や火山噴火も発生したようです。徳川と豊臣が休戦状態に陥ったのは中部地方に発生したこの地震の影響もあったようです。戦争している場合ではないほどの大被害で、復興優先として休戦せざるを得なかったようです。

 

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