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2015年4月14日 (火)

日本の歴史を少し正確に理解する 家康にとっての本能寺

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武田信玄が亡くなってからの甲斐は弱く1675年、有名な長篠の戦で武田家に勝利した家康は領土を広げます。織田家は西に目を向けており、家康は織田家との同盟の強みを生かして東日本を征服していきます。ただし東には北条氏がいたので、三河から北に向かって領土を広げていました。そんな時期、家康が大阪の堺に外遊に来ていた時、本能寺の変が怒ります。なんたる油断か、この時、家康の家臣は数名しかいなかったのですが、服部半蔵の活躍で決死の大脱走劇を繰り広げます。家康が晩年に過去を振り返った時、この時が最大のピンチと言っていますが、すでに3回目のピンチです。

 

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軍事的な弱さは明確です、危機感がない。織田家や豊臣家には後世に名が知れた有名な武将や軍師がたくさんいますが、徳川家はどちらかといえば二流で有名どころはいません。秀吉の水攻めのような大胆な策もなく、数を頼った正攻法です。本能寺の変が起きたときでも、なぜそんな少人数で旅行していたのかわかりません。時代はまだ戦国の真っただ中、水戸黄門並に漫遊できる時期ではないのです。ただ織田信長でさえも本能寺に少人数で陣を貼っていたことを考えれば、関西は平定状態にあると勘違いしていたのかもしれません。

 

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逃げ帰った徳川家康は明智光秀を討つべく出陣。しかし光秀は既に秀吉に負けていました。人物比較は多面的に行わなければ正確さを失います。それでも戦争という一面で明らかに徳川家康は平凡です。生き延びた武勇伝のみで戦争で活躍した武勇伝はありません。豊臣秀吉や織田信長も「鬼神」と感じるほどに強くもありませんが、やはり日本をまとめ上げる事ができる戦略、方向性、能力を感じます。徳川家康は地方の一大名にしか見えませんが、運に助けられ徐々に領地を拡大します。

 

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徳川家康に勝利の女神がほほ笑むことを誰もが知っています。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」家康の性格をこんなに短文で表すなんて江戸時代の人もすごいですね。そう、家康は何もしていない、単に天下が転がり込んでくるのです。武田信玄が少し長生きするか本能寺の変が無ければ彼が将軍になる事はなかったでしょう。武田との戦いでも本能寺の変でも彼の役割は「生き延びる事」だけだったのです。それでは家康と秀吉の関係を見ていきましょう。

 

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