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2015年3月 2日 (月)

歴史を少し正しく理解する 桶狭間の戦い

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日本の歴史が奇襲で動くことは珍しくありません。そしてなぜか、日本人は奇襲が好きなのです。有名な奇襲は二つ、源義経による「一の谷」そして織田信長による「桶狭間」です。前者は平家の時代から鎌倉時代に変わる起点であり、後者は戦国時代から安土桃山時代への起点です。小さな戦いですが、ここからすべてが始まる、この奇襲が成功したからこそ時代は変わったのです。多分歴史の中にうずもれた奇襲は膨大にあるはずです。多くの奇襲は失敗しており成功例は数が少ないはずです。ただし桶狭間は杞憂ではありますが、自暴自棄ではありません。いえ、織田信長は負けない戦をしており安全に今川の首を取っているのです。

 

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桶狭間の驚くべき点は、午前3時に(睡眠時間が短かった)織田信長が「敦盛」を踊り湯漬を食べると午前4時に5人を連れて出陣、熱田神宮で戦勝祈願をしている間に兵が集まり軍勢約2000人、最終的に5000人程度になります。あれ、織田信長は無神論者では?そう、織田信長は熱田神宮で「部下のために」祈るのです。そして小さな奇跡が起きます。いえ、小さな奇跡なんて誰でも簡単な作戦で起こるものです。しかし味方の士気が上がったとしても相手は2万~4万、徳川家康を先鋒に置いた今川軍です。正午頃には戦闘が始まっています。20Km程度の距離を数時間で移動して戦闘ですからすごい体力ですね。13時頃に豪雨、天が味方したのか天候の変化を知っていたのか。

 

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あまりに急襲なので今川は油断しています。ゆっくりと昼食を食べて酒を飲んでいた…え?昼からお酒?2万人分のお酒?地元の住民が飲ませてくれたそうなのです。すでに織田の領土なのに。彼の目的は明確でした。軍勢の数を減らすのであれば5000人では無理です。地の利があっても一人4人ずつ倒さなければいけません。しかし彼の目的は「大将の首を取る」の一点です。5000人のすべての敵がたった一人、今川義元なのです。14時、雨がやむと同時に昼間から酔っぱらっている今川軍に奇襲をかます。今川の首を討ちます。まだ信長が踊りを踊って12時間と少ししかたっていないのです。これが重要なのです。前日まで城にいるはずの織田軍が急襲できるはずはない、だから酒を飲んでいるのです。大将を失った今川軍は敗走、その後弱体化します。「清州会議」で織田信長は徳川家康と同盟を結び、名古屋から静岡あたりを覇権に収めます。

 

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桶狭間という峡谷、熱田神宮での奇跡、酔っぱらう今川軍、12時間での急襲、これらは明らかに作戦です。大雨はさすがに違うと思いますけどね、信長は用意周到で負けるはずがない合戦を圧勝で終わったのです。その後、美濃の斉藤家に勝利した信長は「天下布武」の朱印を使い始めます。他の大名が地固めと領土拡大をしている時に、彼は名古屋の周りを固めた程度で「天下を取る大王となる」と言っているのです。桶狭間一つを見ても彼は明らかに軍事の天才ですが、多くの部下はわからなかった、「大うつけ」と感じたかもしれません…木下藤吉郎を除けば。彼は単なる戦術家ではなく、戦略家であり大政治家だったのです。織田信長は30歳になろうとしています。

 

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