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2015年3月30日 (月)

日本の歴史を少し正しく理解する 木下藤吉郎

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豊臣秀吉は1537年頃に生まれたようです。本人は足軽と言っていますが、農民もしくは当時の身分でそれ以下の階級だったようです。苗字の「木下」は妻の「ねね」の姓という話もあり、借り物の苗字、生まれたときに苗字はなかったのでしょう。藤吉郎秀吉は織田信長には住込みの手伝いとして働き始めたようです。草履を懐で温めた話は有名ですね。身長が低い事もあって織田信長からは「猿」と呼ばれていたようですが、信長が愛着のあるあだ名をつけるほど気に入っていたことに間違いありません。

 

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木下藤吉郎は右手に六本の指があったと言われています。インドへ出張した時、インドのエンジニアが多指で、小指が2本ある6本指でした。驚いたことに6本目の指は普通に機能しており、キーボードを使うときに便利に見えました。見た目さえ気にしなければ6本目の指は利点にしかならないのです。木下藤吉郎が自分の容姿を気にしていたことは有名な話ですが、それは晩年の話です。容姿、背が低い事、指が多い事、これらの弱点を強みに生かす人物だったのではないかと感じます。ざっくり言えば誰からも愛される人だったのではないでしょうか。

 

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信長に仕え、文官を歴任しているようですが10年ほどの間、歴史の表舞台には出てきません。なにせ小間使いから成り上がっているのですから時間はかかります。武士ではなかった事もあって当時の武士では考えられない恋愛結婚もしています。1568年ごろから武将の名前に秀吉が出てきますが、一番有名なのは浅井、朝倉との戦いである1570年の姉川の戦いで、ここから「お市」から「茶々」につながる物語が始まります。この武功により1573年に長浜城を任された秀吉は羽柴という名前を名乗るようになります。これは丹波と柴田という信長の大将軍2名から一字ずつもらっているのです。この辺りが人に愛される技術だったのでしょうか。この時、信長より4歳若い秀吉は35歳です。

 

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ちなみに彼の身長は150160cm程度だったとか。戦国時代においてはそれほど背が低いとは言えないような気がしています。彼が死亡したのは62歳ですが50代後半、つまりいわくつきの朝鮮出兵の頃からは少し行動がおかしくなっています。彼の本当の活躍はこれからわずか20年…そう聞くと、私の人生の20年は平凡な日々だったと悲しくなりそうです。

 

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