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2015年3月22日 (日)

日本の歴史を少し正しく理解する 安土城

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歴史に「もしも」は意味がないのですが、多くの人が残ってほしかった歴史建造物に安土城を上げる事でしょう。安土城は山城ですが、既に火縄銃があり防衛面で山城は意味を成しません。この城は天守閣を天主と呼びます。天主とはキリスト教で使う言葉で大浦天主堂などが有名です。キリスト教が伝わっていた戦国時代に「天主」と呼ぶことはキリスト教的な要素を感じます。山の上に城が建っており、巨大な教会の尖塔にも見えたでしょう。織田信長はキリスト教徒だったのか。

 

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織田信長はキリスト教を利用した一方で信者ではありません。安土城の「天主」の主はキリストではないのです。そう、信長の事です。彼は自分を天下人と呼んでいますので、安土城は信長を崇め奉るための「天主堂」だったのではないでしょうか。ルイス・フロイスは信長を絶対君主と呼んでいます。日本は長く和議をもって政治を行っていますが信長は秦の始皇帝に近い独裁者だったのではないでしょうか。安土城のもう一つの特徴は高い居住性だそうです。つまり軍事施設ではなく、彼が鎮座する「王座」だったのではないでしょうか。ちなみに織田信長の系譜である豊臣秀吉はもっとわかりやすく、自分を神にしてくれと明言しています。これは織田信長の真似でしょう。

 

 

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Google Mapなどで琵琶湖近辺の航空写真を見てみれば東日本から京都に大軍を動かすには一つのルートしかない事がすぐにわかります。関ヶ原から彦根に入り、琵琶湖東岸を南に進むルートです。彦根城は閉所を遮り関所のように道をふさぐことができますが、彦根の少し南の安土は開けており農地が多く、多くの人口を抱えられる一方で軍隊を遮るには不向きです。地理から見ても安土は軍事機能をある程度持ちながらも統治、つまり首都機能を主目的とした城なのです。京都にも近く、織田信長であれば半日で軍隊を移動できる位置であることも重要でした。本能寺の変が無ければ滋賀県が日本の首都になっていたかもしれません。

 

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さあ、日本の歴史の最大のミステリーのひとつ、本能寺の変がいよいよ迫ってきました。

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