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2015年3月15日 (日)

日本の歴史を少し正しく理解する 上洛と包囲網

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戦国大名に驚愕が走りました。

 

名古屋から岐阜の近辺の中小の一戦国大名が、京都までのルートを支配し上洛したのです。寝耳に水、京都には足利将軍と天皇家がいます。織田信長にとって重要なのは天皇家だったのでしょう。上洛して足利将軍を庇護しても、足利家からの職位は断っています。もちろん野心と忠誠のバランスを考え、守護職は引き受けて副将軍は断っているのです。他の戦国大名には戦慄が走ったでしょう。天皇が織田信長を天下人と宣言するかもしれないのです。戦国大名は誰も上洛を「遠い将来の目標」にしか置いていなかった、まずは領地の拡大を優先していたのです。そして足利家からの任官を断ったことから誰が見ても将軍家争奪に織田信長が名乗りを上げたとわかります。桶狭間の時から首尾一貫、織田信長の目標は大勝の首を取る事です。この時点では足利家を滅ぼさず、実権を持っていた足利家の側近、特に三好家を追放しています。

 

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自分たちの勢力拡大のみに明け暮れていた戦国大名、宗教団体、市民団体は結束を見せます。打倒、織田家です。ただし武田家がまだ動かない(動けない)事が織田家には幸いします。織田家と宗教団体との合戦は、実の弟を殺されるなど先に織田家が攻撃されるところから始まります。最初に織田家を攻撃してきたのは浅井、朝倉、比叡山の浄土真宗連合軍です。浅井家には妹のお市がいましたので、有名な合戦ですね。同じころに織田信長は一向宗に奇襲をかけられますが、報復として一向宗の子女を含めて20000人を皆殺しにしたとルイス・フロイスが書いています。非戦闘員も含んで惨殺するところが彼の恐ろしさです。皆殺しのニュースを聞いて「次は自分の番」と考える大名や宗教団体が結託して織田信長に総攻撃をかけるのは当たり前です。ここで一番ややこしい本願寺との戦いが始まりますが、ややこしすぎるので後回しにします。

 

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織田信長はあまり戦争に強いと感じられません。何度も負けかけていますし奇襲にもあっています。その弱さが原因で、勝ったときには敵を根絶やしにして再戦を防ぐため皆殺しを繰り返したようにも見えます。この時期は飢饉が多かったので、口減らしの意味も考えてみました。彼は少しずつ京都を中心にして地盤を固めていきます。伊勢、紀州、中国地方。問題は甲州や信州、武田と上杉です。各地で戦争が勃発し部隊を広い範囲に展開していた織田信長にとって武田が恐怖であったことは間違いありません。

 

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その武田がついに進行し始めますが、彼が策略なしに幸運だったと感じる唯一の事象は武田信玄の死亡でしょう。

 

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