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2015年3月 1日 (日)

歴史を少し正しく理解する 信長参上

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織田信長はあまりにも有名なので説明するのが怖いですね。「信長の野望」というゲームは面白かった。ただ高校時代には彼の残虐性から嫌いな人物の一人でした。高校の歴史の先生が共産主義で反戦論者であったことから、過去の戦争についても非難していましたので影響を受けたのでしょう。歴史教育が人格形成に影響する良い例です。織田信長の行動のいくつかは狂気に感じていました。しかし歴史小説を読んでいく中で「うつけ」でもなければ「狂気」でもないとわかってきました。仏教徒の戦い、比叡山攻めや石山合戦(本願寺との戦い)については時間をかけて説明してきたつもりです。避けられるものではなかったですし信長が始めた戦争でもありません。彼は勝者に過ぎません。冷徹ですが狂気ではありません。安土桃山時代から江戸時代は武士の世の中になったため誤解してしまいますが、信長の時代は市民も僧兵も武士と同じ程度に力を有していたのです。合戦は「無抵抗な市民の殺害」には当たりません。最終的には武士が勝ったというだけの話です。宗教団体の子供や女性を殺した理由は宗教戦争のところで考えました。

 

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信長にも下克上的な背景はあります。織田家の家督を18歳で継ぐまで跡目争いがありました。もともと織田の分家の子供で嫡男ではなく、それどころか「尾張の大うつけ」と呼ばれています。この幼少時代が彼の人格を作っているようにも見えるのです。あまり高い身分でなかったことから庶民と仲よく遊び広く人材を見つける目を養い、人質であった徳川家康とも竹馬の友です。一方で武器マニア的な要素を見せていますし、本家である清州城に火を放つなど中学生から高校生くらいの年代で「戦争好き」という性格が生まれてきています。織田信長にはいくつもの才能があったと感じるのですが、特筆すべきは戦術家という面です。軍事技術家と言ってもいいかもしれません。極端に長い槍、火縄銃を3列に並べて攻撃、ごく最近も「当時の技術を超えた高い石垣」で敵を圧倒したとのニュースが流れました。鎌倉時代のような一対一の対決ではなく、明らかに近代的な戦争を持ち込んでいます。

 

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幼少期に重要な事件は斉藤道三との関係です。斉藤道三は極悪非道の下克上で成り上がった人物ですが、それだけに時流を見抜く力と人を選ぶ力は卓越していたのでしょう。日本を代表するビジネスマンです。その彼が敵対していた織田信長の器量を見抜いたとの話があります。信長は大うつけではなかったのです。ここで「うつけ」とは奇怪な行動をする人という意味です。分家の大将であった織田信長は、その後本家を破り清州城に登ります。ただこの頃はまだ戦闘の天才とまで言えず、勝ったり負けたりの戦を繰り返しています。いろんな作戦をためし、その効果を確認していたのかもしれません。

 

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最も客観的な信長の評価は宣教師であるロイス・フロイスの記述でしょう。「絶対君主」、他人の言う事は全く聞かず、一方である程度の人情味があったようです。信長が親族を打ち取ったのはかたき討ち的な要素があり、無慈悲とは言えません。しかし決断が早く迷いが無いというリーダーシップの一つの極みといえます。天性のリーダーシップ。部下は大変だったでしょうね、積もり重なって本能寺なのかもしれませんね。

 

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