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2015年3月29日 (日)

日本の歴史を少し正しく理解する 因果応報

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武力により奪った権力は武力により奪われる、戦国時代の因果応報。

 

織田本家打倒で下克上を達成した織田信長、織田信長にクーデターを起こした後に討伐された明智光秀、織田信長の子孫を担ぎ関白となった豊臣秀吉、豊臣秀吉の息子を庇護すると宣言しておきながら根絶やしにした徳川家康。最後に残った徳川家康が日本国民に嫌われているのも因果応報でしょう。徳川家も明治維新という因果応報を受けます。この徳川幕府を終わらせたのは関ヶ原で敗者となった長州の毛利と薩摩の島津なのですから。

 

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明智光秀の三日天下は興味がありません。娘の細川ガラシャは現代人が好む悲劇のヒロインですが、彼女にも興味がありません。ひとつ興味を感じるのは明智光秀が生き残り天海という人物になったという説です。天海は徳川家康の参謀となった僧侶で、この説は嘘くさい。ただ間違いないのは主君への謀反であるにもかかわらず明智光秀の親族は生き残り、今でも末裔は存在します。つまり豊臣も徳川も明智光秀を極端に毛嫌いはしていないのです。当然ですね、明智光秀がいなければ豊臣秀吉が関白に、徳川家康が将軍になる事はありませんでした。ミステリー小説の犯人を推理する鉄則として「誰が最後に一番得をしたのか」を考えます。明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康は織田信長と行動を共にしており、同じ境遇にあり、心根は遠からず似通ったものだったと考えています。豊臣秀吉は君主への義理を見せるため明智光秀を倒しますが、明智光秀に対する恨みはなかったはずです。だから天海の物語が想像されたのでしょう。

 

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日本の歴史で絶対君主に最も近かったのは豊臣秀吉と考えています。ただし絶対君主の設計図は織田信長が作りました。徳川家康は関ヶ原に勝ち、征夷大将軍となりましたが外様大名が存在し絶対君主というより連邦国家の代表です。江戸時代の話は先に回して豊臣秀吉を見ていきましょう。苗字も持たなかった農夫が実質的な国王に到達した日本の歴史で唯一の成り上がり者です。もちろん会社員から総理大臣という話はよく聞きますが、主権は国民にあり総理大臣は支配者ではありません。

 

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さて豊臣秀吉、いえ豊国大明神はどのように因果応報を受けるのでしょうか。

 

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