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2015年3月 3日 (火)

日本の歴史を少し正しく理解する 兵糧

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日本の総理大臣がテロ周辺国に人道支援を表明した時、なぜテロ集団は日本を敵対視したのでしょうか。兵糧という問題を考えれば少し見えてくるかもしれません。

 

戦国時代になり軍隊が巨大化します。足軽という民兵の採用が原因です。足軽は略奪など無法を繰り返しますが、これは司令官としてあまり喜ばしい事ではありません。戦争で地域を占領しても民意が得られないからです。巨大な軍隊が略奪をしないためには十分な食料を提供する兵糧戦略が必要であり、兵糧を提供できる範囲が軍事範囲となります。織田信長はゲリラ的短期決戦を何度か用いていますが、これは兵糧の問題を回避する事ができるというメリットもあったでしょう。兵糧部隊を連れた軍隊は愚鈍になります。

 

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織田信長は大量殺戮を繰り返します。特に宗教革命的な軍隊に対する殺りくは苛烈で、女性や子供を含む住民を数千人から数万人も殺害する、町ごと消滅させるという行為を行っています。もちろん織田信長の激情を無視できません。典型的には自分の家族を殺害された後に苛烈な殺りくを繰り返していたようで、怒りに任せた行動です。反抗勢力を根絶やしにして敵討ちを防ぐのも狙いだったのでしょう。ただ副次的な効果として、「口減らし」も考えていたのではないでしょうか。男性だけを大量殺戮して子女を残せば生産性が落ちる上、食料が必要です。そうでなければ子供たちまで殺す必要はないはずです。私はこの日本戦争史においても最悪の非人道的と思える大殺戮のせいで織田信長が嫌いでした。しかし人口を減らさなければいけないという彼の信念があったことを冷静に、算術的に解釈しなければ本当の歴史が見えません。

 

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織田信長は無神論者かといわれると少し違う、彼は自分が神、少なくとも独裁者だと自覚していたように見えます。彼は江戸時代のようにキリスト教を禁止したり檀家制度を作ったりする宗教弾圧をしていません。それどころか宗教の自由を認めています。キリスト教も広めています。つまり宗教に興味が無い一方で、宗教が存在しても気にはならなかったのです。織田信長は家族を比叡山(浅井、朝野との連合)や一向宗に殺されています。先に手を出したのは宗教団体であり、「復讐戦」の形になっています。彼は敵を宗教で区別しませんでした。敵とみなせば滅ぼす、それだけの理論です。ちなみに高野山の僧兵(高野聖)も大量殺戮していますし、東大寺や根来衆も攻めています。比叡山だけではなく日本の主力寺院をすべて打ち破り、焼打ちにしているのです。武家と宗教団体との戦いは豊臣秀吉の時代でも刀刈りまで続くのですが、織田信長が大きな道筋を作り、食料が税金を逃れて寺院に集まる事を防いだのです。

 

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さて最初で提起した疑問、なぜイスラムのテロ集団は日本を敵対視したのでしょう。日本が人道支援をして薬品や食料を支援すれば、支援を受けた国に金銭的にも体力的にも余力が生まれ、国として医療費や食料対策に使っていた金を軍事費に回すことができます。つまり私たちのお金は間接的に軍事力を向上する事になるのです。兵糧支援は立派な軍事活動であり戦争加担です。私たちが目を背けている真実ですが、敵対している組織には本質が見えて当たり前です。食糧支援のためにお金を渡しているというのは日本の偽善的表現であり、実際には軍事支援です。戦争放棄を「永世中立」ととらえるならば、どちらにも加担しない、人道支援をするならば両方の組織に支援する、これが中立です。多分、戦争放棄を宣言している日本が相手だけに支援を表明したことは、テロ組織としては日本は戦争を放棄していたのではないのかと驚いたのでしょう。2億ドル請求は日本人に「中立ではないので平等であれ」「日本は戦争に加担している」という事を知らせようとしていたのでしょう。テロには絶対反対ですが、個人的には憲法9条がある以上、戦争中の国に対する人道的な支援さえも見送るべきだと感じますし、それでも戦争国を支援したいのであれば憲法9条を変えるべきと感じます。

 

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