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2015年3月24日 (火)

日本の歴史を少し正しく理解する 本能寺の変の謎 その1

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本能寺の変と明智光秀はさすがに私の手には負えません。

 

事実はシンプル、明智光秀が謀反を起こして織田信長を殺害しました、終了。問題は動機です。膨大な数の歴史家が明智光秀の動機を推論していますが決定打はありません。ミステリーが難しくなっている理由は、明智光秀が織田信長の2軍程度の存在であり、彼の人柄が十分に残されていない事、またクーデターを起こした後ですぐに殺されてしまったので動機を聞く機会が誰にも無かった事です。戦略に長けた織田信長が完全に油断していたくらいですから、明智光秀は動機を誰にも相談していなかったか、もしくは織田信長以外の部下「総意」によるクーデターだったかどちらかです。

 

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しかし明智光秀の軍が一糸乱れずクーデターに参加しているところを見ると、一瞬の思い付きではなく部下が納得できる雰囲気が作られていたはずです。そうでなければ「敵は本能寺にあり」と言われても部下が反対するか、明智光秀の首をとって織田信長に差し出したことでしょう。そうすると突発的な狂気ではなく、明確な動機と部下を掌握した用意周到に計画されたクーデターと考えるべきです。司馬遼太郎さんの小説では怨念説を採用しているように見受けられます。いわゆる「下克上」、織田信長に代わり主君となるという一番真っ当な動機もあるでしょう。他にも徳川家康や豊臣秀吉などが黒幕だったという説や家族を見殺しにされた仇討説もあります。わたしがどれだと思うかと言われても、とても手に負えません。正直わかりません。

 

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ただ感じるのは明智光秀にしても豊臣秀吉にしても徳川家康にしても、織田信長の激しい気性と残虐性が長い戦争生活の中でしみついているような気がします。それだけに明智光秀がまじめでやさしい人格であり、織田信長の残虐性についていけなかったという怨念説にはあまり共感できません。本能寺の変で明智光秀は織田信長の長男も殺害しています。このことから、少なくとも下克上の意識、「絶対君主になる」という織田信長の強い意識が明智光秀に伝染していたのではないかと感じるのです。羽柴秀吉がものすごいスピードで京都に戻ってきたのも「天下人伝染病」の効果のように感じます。

 

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ただ不思議は明智光秀の動機だけではありません。なぜ織田信長がこれほどまでに油断していたのか。命を狙われている事くらいわかるはず、世の中彼の敵だらけなのにわずか100名で防衛機能のない小さなお寺に陣を構えたのはなぜか。そして諜報能力にすぐれた信長なのに、なぜ明智の大群が向かってくる事に気が付けなかったのか。そしてなぜ、信長の首はみつからなかったのか。本当に謎だらけです。

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