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2015年3月28日 (土)

日本の歴史を少し正しく理解する 本能寺の変の謎 その2

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その1との繰り返しが多いと感じていますが、自分が明智光秀になった気分で寝る前に彼の心の動きを考えていると寝られなくなったので、もう一度考えてみたいのです。

 

決断の時、明智光秀のまわりにはたくさんの武将がいたでしょう。その中で、「敵は本能寺にあり」と踵を返します。しかし誰も信長に通報しなかったのです。何千人もいた、足軽まで含む部隊の誰一人、通報しなかったのです。ありえることでしょうか。現代、自民党のような少人数の中でも意見が割れる事があり、離反する人もいます。よほどみんなが強く同じ意見を持っていなければ離反者がでます。そこで考えたのは柴田勝家や羽柴秀吉が同じ考えを持っていなかったのか、明智光秀が最初に謀反に出たのですが、羽柴秀吉の移動の速さを考えたとき、他の武将も同じことを考えていたのではないか、つまり原因が織田信長にあり、既に誰もが我慢できなくなっていた、クーデターは部下の総意ではなかったのか。

 

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この時期の残虐性はキリスト教社会でも見られます。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3兄弟は宗教の中に残虐性を許す「システム」を持っていると感じています。転生輪廻を信じる仏教は本来折衝を嫌うのですが、浄土真宗が蔓延していた戦国時代でも戦争が続いたことから、必ずしも宗教は理由ではないはずです。しかしある程度の仏教的倫理観を持っていた部下が、君主である織田信長の残虐性についていけなくなってもおかしくはない、「この人を生かしておくとまずい」とみんなが感じるほどになったのではないでしょうか。

 

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現代の尺度と戦国時代の尺度を同じにしてはいけません。大量虐殺はこの当時珍しくありません。女子供を焼き殺す(刀を使うより低コスト)、見せつけのために磔にするという行為も一般的でした。しかし信長の場合は回数も人数も多すぎる、当時の武将でも人の心があり「人数の過多」による心理的影響はあったはずです。合戦ではお互いに死者が出ているので無視するとしても、比叡山では15004000人、長嶋一向一揆では一つの市町村に相当する2万人、高野山の聖を1400人近く処刑、殺すだけではなくとらえた女性は売却する行為もあったようです。有名な話として浅井と朝倉を打ち取った時、頭蓋骨に金箔をはって飾った(杯にして酒を飲んだという伝承はない)という話がありますが、この程度で驚く戦国武将はいなかったと思います。それよりも人数です。部下に対する懲罰体質も気になるところですが、人柄に関しては彼の死後でも称賛する人が多かったようで、管理職、文化人としては一流だったようです。

 

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結論を言えば「理由はわからない」という事になりますが、自らを神(天主)と名乗り、大量殺戮を繰り返し、部下に対する恐怖支配があった中、明智光秀が「信長の代わりになる」という下克上の気持ちと「このままではまずいことになる」という焦燥感(ノイローゼ)の気持ちの二面があったことは間違いなさそうだと感じています。

 

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