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2015年2月15日 (日)

歴史を少し正しく理解する 応仁の乱

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関ヶ原に並ぶほど有名な応仁の乱ですが、誰と誰が戦い、誰が勝ったのか全く分かりません。結論を言えば10年も続いた戦争なのに勝者はいないのだそうです。ただ疲弊し、秩序が乱れ、足利将軍家の力が弱体化した戦争です。

ここからの説明は「ざっくり」です。応仁の乱の時代にもなりますと歴史的な記録は、詳細かつ正確に残っています。情報の洪水の始まりです。詳細すぎて私には理解ができなかったので、思い切りざっくりとまとめます。前言通り「全く理解していない」ので正確さについてはご容赦ください。

 

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戦争が始まる少し前に足利幕府に不幸が起こります。世代交代で10歳以下の将軍が続きます。子供ですから政治は難しいので、将軍の周りの側近が力を付けてしまいます。幼少期から頼りきりの将軍は成人になっても政治から逃避します。自分が占領した国であれば統治に意欲がわくのでしょうけれども、物心がついたら自分が将軍であっても政治は周りの官僚がやってくれていたのですから、20歳を超えても自分の役割を理解できないのでしょう。将軍の威厳が低下し、側近は権力争いに明け暮れます。中央政権の力が弱りましたから守護の力が台頭し、守護同士の領土拡大志向が強くなります。資本主義と同じく、経済は常に前年比成長を目指す、サラリーアップの期待が高いものの、この時代は農地を増やすしかない、耕作地が無ければ占領するしかないという気持ちが出てくるでしょう。

 

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応仁の乱は西軍、東軍という日本を地勢的に割るような戦いではなく、各守護が二つの派閥のどちらかに加担して領土争いを起こしているような雰囲気です。将軍側近の権力争いに便乗した領土争奪戦です。ここで主軸は山名+畠中と細川ですが、親族内にも分裂があり混乱状態です。将軍家が枠外であることも戦争の意味を分かりにくくしています。主戦場は京都で、平安京は焦土と化します。平安京の終焉と言ってもよいでしょう。幕府も天皇家も力を失い、主力の貴族や将軍の側近も戦で疲弊します。当然のことながら日本は統一国家の機能を無くし、各守護が国主として活動を始めます。応仁の乱は終焉しますが、領土争い、覇権争いがより明確になり戦国時代が始まります。戦国時代以外は天皇家や首都の名前が時代の名称となりますが、「戦国」という国家の状態をもって時代の名前にしているのは戦国時代だけです。南北朝時代も似てはいますけどね。

 

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ちなみに足利将軍は織田信長の時代にも残ります。なにせ銀閣寺はまだ建設されていないのですから。

 

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