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2015年2月19日 (木)

歴史を少し正しく理解する 本願寺と一向一揆

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宗教戦争って目的は何でしょうか。冷静に考えてみれば普通の戦争と代わりません。自分たちが自治を行うために領土を確保、拡大する事が目的です。支配地域となった住民の改宗、殺害、追放などは政治の代わりとなる宗教を信じない不穏因子を排除する目的と考えられます。ロシアや中国で起こった社会主義、共産革命は政治の思想が原動力ですが、革命の内容は宗教戦争と大きく変わりません。以上は現在の宗教戦争を元にした整理ですが、一向一揆も同じだと感じています。浄土真宗の一派である本願寺が自分たちの信者のみによる自治国を作ることが目的だったのでしょう。さて、その一向宗、本願寺とは何でしょうか。

 

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浄土真宗が南無阿弥陀仏というマジックワードで庶民に広がって行ったことは鎌倉時代の話です。浄土宗から派生した浄土真宗には更に派閥がありました。有名どころでは比叡山延暦寺、青蓮寺などです。本願寺はそれらよりも小さな派閥でしたが、蓮如という僧侶一代で巨大勢力になります。平安時代までの寺院は僧兵を持ち、荘園の拡大をすすめました。これは寺院による植民地政策に近く、支配者層(寺院ではなく僧兵)と労働者層が分かれています。一向一揆の大きな違いは僧兵ではなく信者が本願寺の支配地域を拡大する戦争です。仏教が庶民に広がったため、信者と共に領地を拡大するというこれまでと全く異なる宗教戦争です。対等とまでは言えませんが寺院と庶民の関係に大きな上下はなく、自主性を持って庶民が行動します。

 

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考え方として土一揆の延長であり本願寺一向宗を求心力に使っただけです。そういう意味できっかけは本願寺の成長戦略にあったと思いますが蓮如が主導したわけではないと感じています。代表的な加賀一向一揆は1488年に始まり、その後、90年近く民衆(一向宗の門徒)による自治を実現している民主革命(宗教革命)です。つまり本願寺を中心とした市民団体は自治権を持ち、将軍家の仕組みには組み込まれず、戦争を繰り広げた「国」だったのです。一方で現在の大阪城に当たる場所にあった石山本願寺はいわゆる本家であり、加賀よりも少し本願寺による支配力が高く足利政権(実際には細川家支配)に対抗する大国でした。石山合戦が一向一揆と呼ばれないところからも、大規模な戦争が繰り広げられたと直感できます。軍勢は一万人を超えていたようですからね。石山合戦についてはもう少し後日の話なのでまた今度。

 

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重要なのは寺院を中心とした庶民の国家が加賀に成立した事です。時期はヨーロッパの民主革命と前後しています。戦国時代を潜り抜け、徳川家による強固な封建主義になりましたが、本願寺や比叡山が信長に勝利していれば歴史は大きく変わったはずです。封建主義対民主主義革命、物語は戦国時代に入っていきます。

 

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