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2015年2月15日 (日)

歴史を少し正しく理解する 銀閣寺

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調べてみて初めて知ったのですが銀閣寺ほど特殊な寺院はありません。応仁の乱が終わった直後、焼け野原の京都で苦しむ市民に特別な税金をかけ、金閣寺を模して建設されたのが銀閣寺です。現実から逃避した空間と感じています。

 

8代将軍、足利義正は応仁の乱の最中に息子に将軍職を譲り引退します。応仁の乱が終わると銀閣寺の建設をはじめ、風流を極めた隠居生活を始めるのです。異常な光景と言わざるを得ませんね。隠居しているので国の支配者とは言えませんが、焼け野原に住む京都の人たちはどのように感じたのでしょうか。京都の復興は銀閣寺建設からかなり遅れますが、復興を遅らせたのが銀閣寺建設とも言えます。

 

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個人的に大きな知識不足だったと感じているのは、銀閣寺の建立が応仁の乱の前と信じていたことです。「応仁の乱の戦火を避け、焼け残ってよかった」とさえ感じていました。しかしそうではなくて、応仁の乱の後に建立されていたのです。この前後関係を知っていれば銀閣寺の見方が変わります。銀閣寺は京都の人たちのよりどころとして建設されたわけではなく、焦土と化した大地の上に多くの犠牲を払って建てられた「個人の」現実逃避空間だったのです。

 

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銀閣寺は歴史のある美しい庭園の中に舎利殿が建てられています。紅葉は美しく、室町時代における建造物の最高傑作のひとつであり、詫び寂びの文化を極めた建物です。しかし当時の京都は詫び寂を楽しむには程遠い状態で、8代将軍にとって「文献にある」足利義満の栄華への逃避行施設だったわけです。例えて言えば第二次大戦後に焼け野原の人から金を搾取して焼け野原の真ん中に「大正ロマンのアミューズメント」を作り、そこに一人で住むという漫画の「20世紀少年」よりもひどい狂気の空間とも言えそうです。

 

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応仁の乱以来、戦争のない京都に残った銀閣寺は国宝です。時代背景と建築理由の特集性から考えても国宝に間違いありません。

 

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