« 日本の歴史を少し正確に理解する 歴史教育 | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 夢破れたヒーロー »

2015年2月 1日 (日)

日本の歴史を少し正確に理解する 源平合戦

Sin0004

 

牛若丸と武蔵坊弁慶の五条大橋エピソード、弁慶は比叡山の僧兵です。実在の人物かどうかは意見が分かれていますが、このエピソードから「源義経が比叡山を後ろ盾に付けたのではないか」と想像できます。弁慶を連れ添った牛若丸、つまり義経は平家に勝った後、異母兄弟の頼朝に京都を追放されます。平家を軍事的に滅ぼしたのは頼朝ではなく義経と言えますが手柄が頼朝に奪われるのです。源平合戦の前、力を付けた平家は比叡山にとっても邪魔者だったはずなので義経を応援したと考えるのは自然です。

 

Sin0001

以上は私の勝手な想像で、歴史的な裏付けが何もない(笑)少し位調べても義経と比叡山の関係は出てきません。この時代の代表的な歴史書は平家物語と吾妻鏡です。ちょっと脱線しますが、平家物語の書き出しは仏教的で「祇園精舎」「諸行無常」「盛者必衰」とまくしたて、語り部は琵琶法師です。平家の運命は仏教の予言通り「諸行無常」「盛者必衰の理を表す」、これは「先に結論から言えば…」という事なのでしょう。この平家物語の書き出しは、私を支配しています。いえ多くの日本人の精神にしみついています。「出る杭は打たれる」という日本の国民性は「盛者必衰を体現しよう」とする私たちの歴史的本能であり、出る杭が打たれた事件が発生するたびに平家物語の書き出しを思い出します。

 

Sin0002

さて日本史で一二を争う人気者、源義経は天才だったか無謀な行動をするだけの若者だったか。一の谷の戦いから壇ノ浦まではわずかに1年、彼が23歳から24歳の戦です。結果を見れば天才的です。ただ策謀を持つには若すぎて、本当に比叡山を後ろ盾に付ける能力があったのか(もしくは比叡山はそんな若造を信用できたのか)、そもそも後ろ盾にささえられて行動していたのか、兵糧の供給ルートさえ確保しない若さに任せた「特攻」だったのではないか。

 

Sin0003

弁慶の逸話がある以上、比叡山は少なくとも義経に増援を提供したのではないでしょうか。頼朝が佐々木定綱に命じて義経を追放したあとの佐々木と延暦寺の確執は有名です。比叡山の息のかかった義経追放の復讐的要素があったのではないでしょうか。天皇家と比叡山は平家に変わり若い義経を京都に置いて支配し、平家の時代から貴族支配に戻そうとしたのではないでしょうか。その夢を打ち砕いたのが頼朝です。頼朝は日本の歴史の中で稀有の優秀な政治家です。天皇家を残しながら征夷大将軍を名乗り、日本全土を武家社会が統治するシステムを作りました。彼が作った武家政治は明治維新まで600年ほど続いたのです。彼は鎌倉に逃げたのではなく、京都の天皇家から権力を奪って関東に凱旋したのです。鎌倉幕府は京都に「六波羅」を置き、天皇家を監視します。鎌倉は歴史ある古い首都であったにもかかわらず国宝がほとんどありません。よほど今でも天皇家に嫌われているのでしょうね。ここまで嫌われるのは、頼朝に能力があったということの裏返しだと考えます。しかし本当にすごかったのは頼朝だったのか、その疑問についても考察しなければいけません。「北条政子」の存在です。

 

Sin0005

« 日本の歴史を少し正確に理解する 歴史教育 | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 夢破れたヒーロー »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 日本の歴史を少し正確に理解する 歴史教育 | トップページ | 日本の歴史を少し正確に理解する 夢破れたヒーロー »

フォト
無料ブログはココログ