« 歴史を少し正しく理解する 室町時代の始まり | トップページ | 歴史を少し正しく理解する 応仁の乱 »

2015年2月10日 (火)

歴史を少し正しく理解する 鹿苑寺

Sin0001

金閣寺は足利義満が建てさせたものですが、彼が死亡してから完成したようです。アニメの一休さんでは義満が金閣寺に住んでいるような印象でしたが正しくないようです。そもそも住居ではなく舎利殿だし。

 

鹿苑寺は今でこそ臨済宗の寺院ですが、当時は足利義満の邸宅でした。さかのぼれば西園寺家(藤原家)の邸宅だったのですが、鎌倉時代と前後して西園寺家でいろいろあって空き家になっていたそうです。荒れ果てた京都北西部、平安京に隣接する土地を足利義満が譲り受けます。そして初めて政治の中心が御所から室町の足利亭に移動するのです。そういいながら天皇家の影響力はまだ大きく、平安京が姿を消したのは応仁の乱ですし、幕府が天皇家から完全に独立するのは戦国時代まで待つことになります。足利義満は息子を天皇にしようとしていたという話がありますが、それは足利義満でさえも天皇家が日本の最高権威と感じていたという証拠であり、天皇家を乗り越えるのではなく天皇家に入り込みたかった(置き換わりたかった)ことを意味します。天皇家と室町幕府の不幸は天皇家と足利家という二つの勢力が京都の北に並立していたことに始まります。

 

Sin0003

話を戻します。金閣寺は当時、足利家邸宅の舎利殿として建てられました。舎利とは仏陀の遺骨を納める建物の事で、日本では薬師寺、興福寺、当時などで見る五重塔など高い建造物が中心です。ただし豪華さという意味で金閣寺は負けていません。さすがに金閣寺は国宝だったようですが、昭和の時代に放火に合い国宝ではなくなりました。今の金閣寺は昭和の建物で田舎の民家の方が古い程度の歴史しかありませんが、世界遺産には登録されています。鎌倉に国宝が無いのと鹿苑寺に国宝が無いのは同じ理由、天皇家に対する反逆者の遺跡であるからかもしれません。もちろん銀閣寺の例があるので宮内庁は否定するでしょうけどね。明文化されていなくても国宝の選考委員の気持ちには「幕府」といわれると引っかかるものがあるのか知れません。

 

Sin0005

さてなぜ「金」なのかという話。日本は新期造山帯で金がたくさん出てくる列島です。佐渡金山は世界最大級でしたが、もう少し後の江戸時代の話。金は日本中で取れるわけではなくて偏在しています。金山を争う戦争まであるくらいです。平安時代から有名だったのは奥州(東北)のようで、奥州藤原家の史跡、中尊寺は金が多く使われています。坂上田村麻呂時代において「征夷大将軍」(東北を制圧するための大将軍)の目的は奥州の金鉱脈だったのかもしれません。京都で金を使う事が出来たという事は、金の産地の所有権を手に入れたと言えます。豊臣秀吉も同じことをしますよね、彼も単なる派手好きではなく、金の産地を手中に収めた日本の権力者であることを示そうとしているのでしょう。まあ豊臣秀吉の場合は農民の出身なので少し状況は違い個人的な達成感として金を使ったのかもしれません。足利義満は貴族の子として生まれていますから、金を大量に使えるほどに日本を統一した天皇家以上の存在感を示すため金閣寺を作ったのでしょう。御所の近くにあんな目立つものを立てたのですから、天皇家としては腹が立ったことでしょうね。

 

Sin0006

マルコポーロは鎌倉時代の人です。その彼が「黄金の国、ジパング」と言っているので、少なくとも鎌倉時代には中国から見ても日本が金の産地だったのでしょう。もしかすると今でも、私たちの足元に膨大な量の金が埋まっているかもしれません。

 

Sin0008

« 歴史を少し正しく理解する 室町時代の始まり | トップページ | 歴史を少し正しく理解する 応仁の乱 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 歴史を少し正しく理解する 室町時代の始まり | トップページ | 歴史を少し正しく理解する 応仁の乱 »

フォト
無料ブログはココログ