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2015年2月22日 (日)

歴史を少し正しく理解する 川中島

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なぜ武田と上杉は戦わなければならなかったのでしょうか。

 

まず上杉謙信の人柄を見てみましょう。彼は信濃、つまり新潟県の戦国大名であり、司馬遼太郎先生の小説でも「親幕府派」として義理堅い人物に描かれています。しかし彼の人生をざっと見ればかなりの戦争好きである事は間違いなく「癖」とさえ感じてしまいます。一方で武田信玄には浄土真宗の影が強く、守護の嫡男ではありますが強い軍隊を引き継いだため守護大名というより群馬の戦国大名です。武田の軍隊は戦国時代でも最強で、川中島の戦いが無ければ天下取りの面で織田信長に後れを取る心配はなかったはずです。

 

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何故武田は最初から京都を目指さなかったのか。日本統一が目的であればすぐにでも、京都を奪いに西に向かうはずです。この時、京都には足利幕府が弱体化しながらも残っています。親幕派の上杉としては甲斐の上京を阻むため群馬と新潟の間に挟まる長野県、川中島での戦いが始まったという説があります。しかし私はどうも納得できないのです。今川と和睦している武田信玄にしてみれば日本統一という目的があれば長野を経由する必要はなく、静岡を通り徳川、織田、斉藤などと戦った方が良かったはずです。なぜ西を目指さなかったのか。

 

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武田信玄は信州の侵略を進めていました。信州に何があったのか、それは次回考えるとして、とにかく支配領域を広げなければいけない理由があったように見えます。一方、上杉は武田の同盟国である北条氏を攻めていました。北条は武田に助けを求め川中島が始まります。両軍1万人を超える大軍勢です。武田軍に至っては2万人と言われます。それでどちらが勝ったのか、私にはわかりません(笑)そうこうしているうちに織田が京都を目指すようになります。あわてた武田が西に向かい始めますが、その途中で武田信玄が死亡してしまい、甲斐の夢はついえるのです。

 

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武田の大きな欠陥は「日本統一」という強い意志が感じられない事です。いえ、日本統一に向かう余力が無かったのかもしれません。織田信長は明らかに「天下」を意識して作戦を練り、京都に登ります。織田信長は軍事的に決して強くありませんが、明らかに「日本のあるべき姿」を描いて行動に移した政治家であり、戦国時代は織田信長の前後で大きく違います。武田よりも少ない軍勢で上京し、安土桃山時代を築くのです。川中島は織田信長が現れる前の典型的な戦争であり、戦国大名の多くは天下統一ではなく「領土の拡大」のために戦いを繰り返していた時代です。なぜ領地を拡大しなければいけなかったのか、それを次回考えてみます。

 

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