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2015年2月21日 (土)

歴史を少し正しく理解する 戦国時代へ

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戦国時代入口までの歴史背景を整理します。

応仁の乱がおこり、室町幕府は弱体化しています。幕府の弱体化に伴い、各地の守護は独立色を強くして権力拡大を模索し始めました。一方で日本の民主主義革命ともいえる土一揆や一向一揆が発生し、権力者と言っても庶民を軽視した政治はできなくなってきています。庶民が力を付けてきたという背景には農業製品の生産量増加と商業の発展が寄与しているのでしょう。庶民が武器を手にして徒党を組み軍隊の形をとれるようになってきました。まとめれば戦争で荒廃していた時代ではなく、大きな経済発展を遂げた豊かで活気にあふれた時代だったと想像できます。「戦国時代」という名前に騙されてはいけません。

 

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一向一揆が加賀で国主を倒し国家を成立させたように、幕府により拝命された守護は応仁の乱で弱体化していたと想像できます。実力のある部下や庶民が守護に成り代わり統治する、いわゆる下剋上や戦国大名が生まれてきます。応仁の乱が終わった後、台頭したのは「細川家」です。クーデターに成功した細川家は1493年に足利家に代わり中央の実権を握ります。しかし足利幕府の守護にとってみれば、足利家の同じ家来の細川家が実権を握ったことで幕府との関係が薄れたと考えてよいのでしょう。

 

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その後、細川家の内紛が続き、1547年に三好家が実権を握ります。三好家に至っては既に幕府と関係が無く、「誰が日本の主権を握ってもおかしくない」と考えたでしょう。つまり1547年から豊臣家による統一までの時代が本当の戦国と言えます。この時、武田信玄は26歳、上杉謙信は17歳、毛利元就は50歳、織田信長は13歳です。武田信玄は既に信州を平定し、川中島の戦いまであと6年に迫っています。油売りから大名にのし上がった斉藤道三も既に美濃国を占領しています。まさに「駒がそろってきた」状況で、いよいよ陣取り合戦が始まります。この時代の特徴として、農家や商家が力を付けている関係で足軽と呼ばれる集団として農民も兵力に巻き込むため「戦争は農閑期」と言われ、農業生産量と物流を維持しながら農民を徴用した巨大軍隊の争いになります。そもそもしっかりとした兵糧と物流が確保されていなければ、侵略戦争を起こすことはできません。当然、道路を含むインフラが完備され、宿を含む宿営地もできていたのでしょう。

 

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どうも戦国時代と言われると荒れ果てた荒廃した日本をイメージします。しかし当時は強力な火力がありませんから建物の崩壊は限定的です。足場の悪い田畑を踏みにじる戦争など、ほとんどなかったでしょう。既に巨大な城を山の上に作るだけの建築技術がそろい、職人がいます。「川中島」や「桶狭間」を代表するように合戦場は農業に影響を与えない場所であるか城攻めだったのでしょう。「兵糧攻め」が中心になったのは戦闘に加わる農民の死傷者を少なくするためであり、大規模な殺りく合戦は鉄砲の登場を待つことになります。さてまずは川中島の戦いから見ていきましょうか。

 

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