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2015年2月 5日 (木)

日本の歴史を少し正確に理解する 職業軍人である武士

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中国の歴史小説を読んだあと日本の歴史小説を見ると少し不思議に感じる事があります。中国の戦争では数万の軍隊が動きます。「四面楚歌」という状況は自分の軍隊の周りをすべて楚の軍人が埋め尽くした事を意味しています。しかし日本の戦争では軍隊の規模がかなり少ない、これは日本の人口が中国に比べて少なかったからではありません。中国に限らず大陸の戦争は人民大移動です。特に中国は民族が中原を目指す傾向にあります。軍隊が通ったところは再利用の計画がないので食料を食べつくし、住民を蹂躙し、生き残った住民を軍隊として取り込んで移動していきますから人数が増えます。ただし統率やマナーも悪い。モンゴル人が中原を支配する「元」や「清」の時代には明らかに民族大移動が起こったのでしょうし、万里の長城は軍隊よりも人民の移動を防ぐ壁に見えます。軍人は簡単に壁を越えても人の流れは足止めを食らうでしょう。現在の共産主義がウイグルやモンゴルの独立を恐れるのは単なる領土問題ではなく、中国の戦争の歴史、人民の中原への移動という恐怖が理由であるような気がします。

 

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一方で日本は稲作国家であり、国の規模はコメの生産量「石」であらわされました。つまり戦争に農民を連れて行く事や、戦地で農地を荒らすことは財産の破壊になります。そもそも戦争は農閑期が中心だったという話さえ聞いたことがあります。江戸時代で士農工商という身分差別制度ができましたが、税金のシステムが米を貨幣のように扱うので農業が重視され米を生産しない工業や商業が軽視されたという理由もわかります。貨幣の流通が進んだ江戸時代の後期に商人が幅を利かしたのも税収システムの変化によるのかもしれません。それでは農業から独立した職業軍人はどのように生まれてきたのでしょう。寺院が持つ農地を守るために生まれてきたのが僧兵でした。一方で貴族や地主が持つ農地を守るのが武士でした。武士の大きな派閥が平氏と源氏です。平氏も源氏も比較的格の低い貴族階級だったように見えます。穢れを嫌う文化は死体を嫌う文化であり、戦争を嫌う文化です。貴族では派閥争いがあるのに自分で手を出したくなかった、そのために育った職業軍人が武家というシステムでしょう。しかし強大な武力は必ず権力に結びつきます。最初は平家であり、次は源氏であり、時代を追うにつれて武家の力は強くなり、江戸幕府に至って天皇家の存在はほぼ忘れられた状態でした。海外で侍や忍者が人気なのはなぜか、海外で職業軍人は多くないのでしょう。戦闘のエキスパートが1000年も前からいる、これは日本独自の文化だったのかもしれません。

 

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最近、日本は昔から平和な国だった、第二次世界大戦は日本の一時的な汚点で軍事クーデターの首謀者たちに罪をかぶせ、多くの日本人は軍政府におののき戦争に出向いて行った家族思いで平和な人だったと考える風潮があります。多分、そうではなく日本人は昔から職業軍人による戦争を政治のシステムにしていた、しかし明治維新以降から昭和にかけて、大陸の戦争が日本を襲い、数には数、国民皆兵にシステムに切り替えざるを得なかったように感じています。日本人が昔から平和な国だという風に感じる誤解は、やはり戦後の日本から戦争意欲を奪うための米国による工作であり、かつ現代の平和主義に基づく誤解ではないかと感じているのです。つまり日本は軍国主義の歴史の流れの中で第二次世界大戦を迎えたのです。軍国主義をやめた今、たとえ自衛隊がクーデターを起こしても再び軍国主義に戻ることはないと感じています。つまり自衛隊は江戸時代の平和を支えたような職業軍人であり、日本の平和な時代を支えたシステムの模倣であると考えます。しかしそんな防衛システムを持っていた江戸幕府は破れました。原因は「外敵」だったと言えますし江戸の防衛システム弱体化でした。江戸時代の教訓を生かすのであれば、十分な軍事力を持った自衛隊を維持することが世界平和を維持する上でも無意味ではなさそうです。

 

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