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2015年2月25日 (水)

歴史を少し正しく理解する 戦国武将

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戦国武将と言われると、主軸は織田、徳川、武田、上杉です。他にも毛利、長曾我部、大友、島津、北条などが周りを固めます。織田信長の武勇伝を見る時に浅井、朝倉の存在も忘れてはいけません。一方、伊達は戦国時代の終盤まで出てきません。戦国武将だけが話題になりますが、加賀一向宗、本願寺、比叡山延暦寺が巨大な宗教勢力として一部の地方を占有しており、他にも堺や根来衆など武士ではない勢力も大きな力を持っています。おっと、京都の足利将軍も忘れてはいけませんね。1540年頃を前後して全国で蜂の巣をつついたように戦が始まりました。

 

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1542年には斉藤道三が下克上で美濃を統治しました。斉藤道三は下克上の武将の中で特筆できますから、次回にまわします。さて桶狭間の戦いは1560年であり飢饉の時代から20年後、十分に回復した「豊かな日本」の時代ですから今は忘れましょう。つまりまだ織田は出てきません。1540年には尼子氏に勝利した毛利元就が台頭しており中国地方の戦争が始まった時代です。九州でも戦争が起きています。

 

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しかし四国は比較的平安です。長曾我部家が戦争を始めたのは1540年代の後半ですし本州から攻め込まれた形跡がありません。これは足軽という大きな軍隊が海を渡るには膨大な数の船舶が必要だった事と、「可能性として」ですが日本の南に位置する四国では比較的飢饉の影響が小さかったのかもしれません。寒気は当然シベリア方向から入ってきますから、中国山地と四国山地が防波堤となって高知あたりでは飢饉が猛威を振るわなかった可能性があります。一方で九州は火山灰が多く、日本海からの寒気の影響も受けやすいので飢餓が進んだのかもしれません。冬のニュースで福岡や大分に大雪のニュースを聞くことはあっても、高知で雪が降ったというニュースはあまり聞きませんからね。

 

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さて下克上は斉藤道三と北条早雲の登場で始まります。

 

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