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2015年2月28日 (土)

歴史を少し正しく理解する 斉藤道三と北条早雲

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斉藤道三は織田信長の側室、濃姫の父親として有名です。「国盗り物語」の前半は斉藤道三の物語です。別名「美濃の蝮」、まさに美濃の国を奪った下克上の代表格です。彼の物語は日本の歴史の中でも極悪な出世物語ですので興味がある方は斉藤道三の物語を読んでみてください。ざっくり流せば、幼少期には僧侶、油売りの商人となり硬貨の穴に油を通して売るというパフォーマンスで大成功。その後、武士になり、「斉藤」という名前を奪い、城を奪い、美濃という国を盗ります。この過程が実に毒々しい、まさに蝮です。更に織田家との領土争いとなりますが、和睦して娘を織田信長の側室として差し出すのです。

 

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例え現代のような職業選択の自由があっても僧侶、商人、武士、大名という転身は驚くべき自由人と言えます。間違いないのは斉藤道三がビジネスの才能にあふれていた事、権力に対する嗅覚が優れていた事、そしてビジネスに対する冷徹さを持っていた事です。現代であればベストセラーのビジネス書が書けた事でしょう。ただしその冷徹さは誰も真似はできないでしょうけどね。暗殺、毒殺、何でも有りです。

 

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北条早雲、おもしろいのは誕生年です。1432年もしくは1456年って24年も違い驚きます。どちらが正しいのか、ここで考えるつもりはありません。岡山県生まれの早雲が応仁の乱を経て(といっても1456年生まれだと10歳?)駿河から伊豆へと移動します。重要なのは1495年ころの小田原城奪取です。この城が強い。さてその時早雲は64歳だったのか40歳だったのか。ちなみに北条氏を関東の雄まで押し上げたのは息子の氏綱です。氏綱でさえも戦国が盛り上がる1541年には死亡しています。この氏綱がもう少し長く生きていれば日本の歴史は変わったかもしれません。

 

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道三も早雲も下克上の代表格です。そして道三の近くに織田信長、および豊臣秀吉が、早雲のそばに徳川家康がいたことは意味があったように感じています。

 

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