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2015年1月17日 (土)

日本の歴史を少し正確に理解する 未来について考える

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歴史は過去を学ぶ学問ですが、単に知識欲を満たす事が目的ではありません。文字の目的は過去の失敗から現在と未来を改善する事にあります。憲法9条という文字列が戦後日本の参戦を阻んできました。「法」とは歴史の蓄積としてのノウハウ集とも言えます。日本人が武器を持たないのは刀狩令までさかのぼれるのかもしれませんし、いくつかは十七条憲法までさかのぼれるかもしれません。しかし現代の日本は文字が溢れすぎて重要なノウハウを抽出できずに混乱しており、はっきりとした将来像を持てていないような気がしています。将来を考えなくてよいほど資本主義社会の達成感はあるでしょう。経済が発展し、戦争は長い間起きていません。欲しいものはほぼ何でも手に入り、宗教に縛られることもありません。多くの人が今のままでよい、妥協できると考えているように感じます。しかし貧富の差は下手をすれば江戸時代よりひどく、国は借金だらけで、心によりどころとなるはずの家族や宗教との距離が離れたことで精神的な問題を抱える人が増えているような気がします。日本はどこを目指して発展してきたのか、そしてこれからどこに向かえばよいのでしょうか。

 

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歴史の転換点は過去に何度かありました。国民の不平が蓄積され、力となって国が変わります。例えば戦国時代、なぜ農民出身の豊臣秀吉は天下人になれたのでしょうか。何かドライビング・フォースがあったはずです。明治維新は外国に占領されるという恐怖心や江戸幕府の間の不平不満などが国の形を変えて「日本」を作ってきました。ただし大きな変化の前に長い安定期が日本の歴史にはあります。平安時代、鎌倉時代、江戸時代が代表的で、100年以上続くのが一般的です。さて現代、日本は明治維新の志士の理想である国の形として成り立っているでしょうか。日本は個の塊になっている、そして個を動かしているのは政治ではなく経済ではないでしょうか。政府は経済を動かすため補助に見えます。太平の時代には税金が増えてくる、それは古墳時代や江戸時代でも起きました。現代、税金や厚生年金の合計は種乳の何割になるでしょう。四公六民程度でしょうか。

 

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学校教育においてなぜ日本史が必修になっていないのでしょう(私は日本史が嫌いだったので助かったのですが)。歴史は学校教育のみで学びます。学校を卒業したあとは興味がある人だけが学んでいきます。文字や歴史は人々の経験をまとめ道標を示すために使われてきました。たとえば「国譲り」の話があります。天皇家の家訓をまとめた古事記や日本書紀で戦争を伴わない国譲りとして書かれました。これは戦争ではなく国譲りが「美徳」であり、「戦争で解決するのではなく話し合いで解決せよ先祖はそうしたのだ」と伝えているのです。同じ事は孫子の兵法でも語られていますが、日本の最古に近い書物にも戦ではなく「和」の重要性を説明しています。日本人がアメリカの作った憲法9条を素直に受け入れたのはこの国譲りや和の本能があると感じています。戦国時代であっても目指すのは「太平」の世の中だったのです。つまり人間は気が付かないうちに過去の歴史を教訓に自分たちの今と未来と法律を設計しています。歴史から将来の目標やあるべき姿を見つけるのです。日本史を教えないという事は、日本人の精神を学ぶ機会が無いという事を意味します。大きな和、つまりチームプレーや集団活動を目指してきた日本人が、歴史を学ばないから個人プレーに移行しつつあるのです。

 

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文字数が尽きてしまいましたので、歴史教育と日本が目指すべき姿については次回に回します。

 

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