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2015年1月 8日 (木)

歴史を少し正確に理解する 奈良時代の仏教

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仏教の話を始めると言っておきながら長い間脱線しています。仏教を勉強する前に整理しなければいけないことがあったからです。3つあることがわかりました。第一に僧兵は僧侶ではなく奈良時代においては雇われた職業軍人でしたが、鎌倉時代以降は信者を取り込みました。どのような仕組みの変化があったのか気になるところです。第二に奈良時代には日本史が日本語と仏教が一部支配階級の所有物であり、そして仏教と日本語がまだ完全に分離していませんでした。その後はどういう経緯をたどったのでしょう。第三に浄土宗によって仏教が庶民に広がったため、鎌倉時代の前と後で仏教の対象者は貴族、庶民と異なっていることです。どのような変化が起きたのでしょう。

 

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本日のテーマである奈良時代の仏教は平城京の狭い範囲で貴族のために特化され、各寺院が僧兵を雇って領土争い、つまり荘園争いをしていました。仏教は権力の中央に寄り添って貴族の土地を切り取っていったのです。奈良仏教には大きく三つの派閥がありました。東大寺の華厳宗、興福寺や薬師寺の法相宗、そして鑑真の律宗です。薬師寺は飛鳥に近い場所にあり平城京遷都と共に移動してきます。平城京には最初に薬師寺があったといってよいかもしれません。奈良公園のあたりを歩いてみれば興福寺と東大寺は目と鼻の先であり、何が起こったのでしょう。三蔵法師で有名な法相宗のうち興福寺は藤原家の色が濃く阿修羅像の印象が強すぎますが本尊は釈迦三尊です。一方で薬師寺は名前の通り薬師如来が本尊です。この時代、仏教は藤原家が主権を握っているように見えます。天皇家は挽回しなければいけません。

 

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法相宗が支配的であった平城京に天皇家主導で華厳宗の東大寺が建立されます。建設には40年近くもかかった巨大建築で、大仏や南大門が有名ですね。法隆寺の五重塔に対して明らかに「威圧的」であり古墳と同じくらいお金がかかったはずです。各寺院は僧兵を持ち荘園を広げていきます。当時の僧兵は荘園を守るガードマンでしたが、政治において発言する僧侶の背後にいる僧兵の圧力が小さくありません。大化の改新で明確になったように貴族間でのクーデターは藤原家の勝利です。他の貴族は弱体化し、権力は天皇家と藤原氏のバランスです。ただその天皇家と藤原家の双方が仏教勢力の権力争いから逃げるように平安遷都につながっていきます。おっと、その前に律宗を忘れてはいけません。日本には仏教が伝わったものの戒律を授ける僧侶がいませんでした。中国が日本への僧侶の渡航を禁止していたからです。端的に言えば平城京には僧侶を任命する人がおらず、正式な僧侶がいなかったという状況です。鑑真が753年に日本に到着し始めて戒律を授けます。面白い事に天皇系統の東大寺や神社の宗主である天皇自体に戒律が授けられるのです。しかし空海と最澄は鑑真の教えに納得せず、自分たちの主張を展開し、律宗は衰えます。

 

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ここから空海の真言宗(東寺)と最澄の天台宗(延暦寺)が中心となり舞台は平安遷都と共に京都へと移っていきます。特に延暦寺は浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮、曹洞宗の道元、臨済宗の栄西などを生み出したうえ、神輿を使う事で職業軍人だけではなく信者を巻き込んだ「強訴」という手法を用いて政治に食い込んでいきます。まさに日本の歴史の中核となるのです。そして延暦寺と一向宗が徐々に天皇家と並ぶほどの力を持っていくのです。

 

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