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2014年12月28日 (日)

歴史を少し正しく理解する 僧兵

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平安時代も戦国時代も「僧兵」の存在を過小評価すると「織田信長は延暦寺という寺院を焼打ちにした極悪人」という誤解を生みます。室町時代の末期、足利将軍は飾り物でした。そんな時に戦国時代が始まるのですが、戦国時代が始まる前も国の形がある以上、支配者層はいたはずです。ここで注意しなければいけない事として、平安時代と戦国時代の僧兵は違います。平安時代は雇われ僧兵に近いのですが、浄土真宗以来、宗教が大衆化されたときに信者自体が僧兵的な機能を持ちます。つまり後者は信念があり数が多いのです。今のイスラム国などに近い状態です。実際宗教団体が国の政治をつかさどることは珍しくありません。武家と僧兵の覇権争いに苦労したのは信長ですが、終止符を打ったのは豊臣秀吉の刀狩です。徳川家康が宗教団体と戦争をしなくてよかったのは信長と秀吉のおかげなのです…キリスト教を除いてですが。

 

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まずは戦国時代を見てみましょう。有名なところでは浄土真宗、別名一向宗で石山本願寺と比叡山ですね。他にも1万人にも及ぶ軍事エキスパートを持った「根来寺」も有名です。石山本願寺の戦略はまさに現在のイスラム圏での宗教戦争に近く、ボコ・ハラムとかイスラム国のように各地で軍隊が結成されます。それが一向一揆です。当時一向宗の寺院は各地にあり、それらの多くがゲリラ的に発起します。多分軍勢は数万人だったのでしょうが、小規模に集まっているので織田信長の軍政に敗れていきます。ただしその本陣である「石山本願寺」は現在の大阪城に居を構え、長期の戦争を繰り返します。比叡山の延暦寺も数千の軍隊であり、地質学的にも比叡山という「山城」を構え最強の軍隊でした。信長はここを焼打ちして悪名を着ますが、秀吉が高野山と根来寺に攻撃を仕掛けたとき、彼らが降伏してくれたこと、また刀狩が成功したのも比叡山焼き討ちの威力だと感じています。比叡山攻略は徹底的でしたが、それは信長の先を見据えた演技だったのでしょう。「嫌われる勇気」。しかし一向宗や比叡山の信者は武家の中にも多く、浅井や明智に反感を買いすぎたのは信長の想定外だったのかもしれません。偉かったのは秀吉と家康で、信長の悪名をうまく使って寺院から僧兵を奪いました。

 

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さて平安時代に戻ってみれば僧兵は僧ではありません。いわゆるお手伝いさんが自衛のために武装したのが僧兵です。仏教が庶民化していない時代でしたから、僧兵は仏教とは何も関係ありません。寺院に雇われている兵力と言えます。奈良の田舎を歩いているとかつて寺院が持っていた領域が示されており「え、ここまで?」と驚かされました。当然、たくさんの僧兵が必要ですが、人数がいても食料に困らないのでどんどん僧兵が集まったのでしょう。なぜ平安京に遷都したのか、その一つが奈良の僧兵による「強訴」にあると考えています。奈良時代には興福寺と東大寺、それ以降は比叡山が有名です。平清盛のドラマにも何度も登場しましたね、神輿を担いでいるので性質が悪い。比叡山との戦いは室町幕府から始まり、最終的に信長が勝利します。石上本願寺には勝てませんでしたけどね。奈良時代から続いたとすれば約700年にわたる僧兵時代に終止符を打ったのが信長と秀吉なのです。

 

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今の寺院を見れば信長が極悪人に見えますが、どちらかと言えば信長を含む「武家」は僧兵討伐から始めなければ日本統一などできなかったのでしょう。室町の弱体化も僧兵の影響が無視できなかった、どちらかといえば浄土真宗支配の時代だったのではないかと考えています。

 

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