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2014年12月20日 (土)

歴史を少し正確に理解する 仏教と日本の歴史

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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり」 平家物語の一説ですが、鎌倉時代には貴族社会で仏教が浸透している事を実感させます。日本の歴史観は仏教の考え方を取り入れている、仏教的解釈が織り込まれていると感じています。学生時代には想像もつかなかった事ですが。

 

神代、日本に書き言葉はありませんでした。中国との国交はあったのに言葉は伝わらなかった、必要としなかったのでしょう。日本に文字が必要となったのは世界的に見て特殊なことですが、仏教を理解するためと考えられます。歴史書と呼ばれる書物で残っているのは8世紀の「日本書紀」です。天皇家の物語ですが、藤原家監修という側面も忘れてはいけません。それに加えて仏教思想の影響も無視はできません。日本に仏教が伝わったのはどうやら6世紀の中盤で、仏教に付随する形で漢字が伝わります。しかしまだ「仮名」が発達しておらず、日本らしい表現にはなっていません。インドの仏教が中国語で解釈され中国語のまま日本に伝わります。日本書紀は8世紀の文章ですので、この頃になれば日本語化が進み、仏教以外の文章を日本語で表現できるようになった、つまり仏教用語と日本語が分離を始めていたのではないかと感じています。ではどの程度だったのでしょうか。

 

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中国語は話し言葉と書き言葉に違いがあり、話した音をそのまま文字にすることはできません。先日、兵庫県の議員の号泣会見が流行語大賞の候補になっていましたが、ものすごいカタカナの使い方でしたね。つまりカタカナやひらがなは漢字では表現できない「音」を表現できる、世界的に見ても優れた書き言葉です。しかし日本書紀の頃は日本人の感情を文章で表すことができていたとしても、まだ「仮名」が発展していません。一方で平家物語の頃は仮名を含めて日本語が十分に発達しています。つまり日本書紀には私たちが感じる以上に中国語と仏教の影響が残っているのではないかと感じるのです。聖徳太子の時代、十七条憲法を見れば既に強い仏教の影響を受けている事がわかりますし、彼は四天王寺など仏教寺院を立てています。天皇家は神徒でありながら早い段階で仏教と融合しているのです。東大寺が強い勢力を持ち鑑真が中国から招かれました。庶民に仏教が広がるのはもっと先の話ですが、少なくとも貴族には仏教が広がっていたはずです。

 

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仏教はネガティブな宗教と言えます。自分にはたくさんの煩悩があって、それらのすべてを「苦」(一切皆苦)だと表現し、転生輪廻や煩悩からの解脱を目指していくのです。注意しなければいけないのは現代の日本の仏教とは別物と考える事です。現在は僧侶でも厳しい修行はしていませんし、それどこか本来の仏教ではありえない「世襲」です。肉も食べれば結婚もしますし、お葬式や法事で「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と唱えればOKという簡単なものになってしまっています。それが悪いわけではなく、日本ではそのように変化したという事であり、今は変化の前を認識しなければいけません。当時は自分を完全に煩悩から脱出させる自己鍛錬の宗教であり、キリスト教のような他人を助けようという精神はありません。僧侶は宣教師ではなく自己鍛錬の徒です。自己鍛錬の精神は日本人の奥ゆかしさややさしさの原点になっていると考えてもよさそうですし、言葉をかえれば日本人にボランティア精神が薄い理由にもなっているように感じます。「自己努力、根性論、謙遜」これらは仏教的だと感じています。つまり日本書紀にも仏教的精神、自己犠牲の精神が強く織り込まれていると考えてよいはずです。それは自己を正当化するためであったり、呪いを防ぐためであったりというような目的ではなく仏教的な背景から「本心で」自己を卑下している、既に諸行無常の精神が織り込まれていると考えられるのです。日本の影のドンであった藤原家でさえも自分たちを卑下し、敵を尊敬する精神があったと考えています。例えば「国譲り」においても仏教の精神が影響していると感じています。戦争に勝って奪い取ったのではなく、相手の親切で譲られたのだと。

 

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ただ大きな疑問があります。なぜ出雲大社が超高層建築だったのでしょう。そして出雲大社の神はなぜ京都や奈良と反対の西を向いているのでしょう。出雲大社が立てられたとき仏教はなかった、純粋な日本人の精神で出雲の神は立派に祀られ今でも日本最高の神社の一つになっています。仏教が日本になじみ、漢字と共に日本に広がって行ったのは仏教精神が日本人の昔から持っている「大きな和」の精神と合致していたのでしょう。だから仏教は広がり、キリスト教は栄えなかったのではないでしょうか。キリスト教は弾圧されましたが、日本人の精神と合致していればいくら弾圧されても広がったはずですからね。仏教が無い時代でも敵を崇め、配慮をもって向きを変える、仏教に近い精神があったのではないでしょうか。日本書紀に戻れば仏教の影響を受けていたとしても、日本人らしい文章になっている事に間違いないと感じています。そして仏教的影響が強く感じられる竹取物語について考えてみたいのです、次回。

 

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