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2014年12月17日 (水)

日本史を少し正確に理解する 古墳

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身近に存在するので不思議に感じていなかったのですが、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を客観的に見つめてみると驚く事ばかりです。誰の古墳なのかは学術研究に任せるとして、個人的な疑問は3つです。なぜここまで巨大なのか、なぜ前方後円なのか、そしてなぜ「傾いて」いるのか。最長部で840m、近畿圏全体の航空写真からも見つける事できるほど巨大で、他の古墳と比べても極端に大きいのです。ここまでの巨大建造には国力を落とすほどのコストがかかります。それでも建設した理由は何か、本当に墓なのでしょうか。確かに墓には間違いなのですが、そこには日光東照宮のような機能があったのではないでしょうか。その話は後回しにして話を進めます。

 

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前方後円墳という言葉には何の不思議もないようです。本来は円墳なのです。その入り口が伸びて方墳が追加されたようです。つまり巨大な入口なので「前」にあるのは当たり前です。更に気になるのは傾きです。文字もない時代ですが、方位には重要な意味がありました。特に太陽が沈む奈良の西に当たる堺に古墳が作られています。ここまではわかりやすいのですが、なぜその古墳は東西南北を無視して傾いているのでしょうか。堺市の航空写真を見ると感じるのですが、墓の角度と同じものがいくつかあります。JRや南海などの鉄道、県道30号線、そして今は埋め立てられていますが埋め立てられる前の海岸線。つまり堺の海から見ると巨大古墳が「最も巨大に見える」配置なのです。

 

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天皇家の支配を確立しつつある古墳時代、堺の港から見える大仙古墳(もしくは大仙古墳群)だけ巨大に作られたのは墓としての機能だけではなく、外敵や交渉相手に対して国力を見せつけるものだったのでしょう。たとえ中国でもこの巨大な人工物が立ちふさがる国力には威圧されるはずです。日本に風水が入って「東北」が鬼門とされてから上賀茂神社、日光東照宮などは神や徳川家康の神通力を頼りにした城壁です。大仙古墳の時代に鬼門という考えはなかったとすれば、古墳を外敵の侵入口に配置してもおかしくはありません。物理的にもこれほど巨大であれば、侵入ルートが限定され防衛しやすくなるはずです。

 

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以上の事から、なぜ巨大なのか、なぜ傾いているのか、そしてなぜ前方だけが伸びたのか、そして海から見えない小さめの古墳の入り口がちゃんと西を向いている理由もわかるような気がします。

 

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